書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

葬儀です

昨日の引き継ぎの後、急いでお寺に戻り、お通夜を勤めました。本日は、葬儀です。

先日の葬儀では、風邪をこじらせて非常に聞き辛い声でのお勤めとなってしまいましたが、今回は大丈夫。万全とは言えないものの、聞きづらさはなかったと思います。多分。

葬儀後の喉の調子もそんなに悪くはありません。まだまだ完全に元に戻っているわけではなく、咳も気になる状態です。早く万全の体調に戻したいですが、ともかく今日のご葬儀が無事に勤まってよかった。大切なお檀家さんを送り出す儀式です。全力で取り組めるというのは、幸せです。

葬儀に連なる一連なの儀式を終えた夕方、喪主さんの娘さん二人が、お饅頭を持ってお寺を訪ねてきました。

昔は四十九餅と言って、故人が旅をするためのご飯として四十九日分のお餅をお供えして、四十九日のお勤めが済むと、みんなで分け合って食べるという風習がありました。今では餅がまんじゅうに変わり、葬儀の翌日、朝参りの際にみんなで分けて食べるようになっています。

そのまんじゅう。寺役と言って、喪家とお寺の間に入る連絡係のような立場の人を立て、葬儀が終わるまでの間ご尽力をいただくのですが、その方が葬儀後に届けてくれるのが通例。その際には、道中振り向かず、会話をせず、というのが習わしでした。私も高校生ぐらいの頃にお寺でまんじゅうを受け取った際に、話しかけても一切返事がなくて不思議に思ったのを覚えています。

亡くなった方が付いてきてしまうとか、色々迷信発の理由がついて回りますが、一番私を納得させたのは、道中いろんな人と話をしていていつまでたってもお寺に届かないから、というものでした。葬儀の後ですから、故人の話で盛り上がります。世間話していたら時間が経つのはあっという間ですから、理由としては一番しっくりくるものでした。

その風習を、ぜひ娘たちにも経験させたい、という喪主さんの希望で、最近では携帯電話に取って代わられた寺役の代わりとして、お饅頭を届けてくれることになっていたんです。

喪主さん自身は、過去に自分がやった時にはちょっと喋っちゃったということでしたが、はてさて娘さんたちはどうだったでしょうか。

孫煩悩だった故人。孫はもちろん、みんなに好かれていたようです。こういう場面に行き会えるのが、お寺にいる最大のご褒美かもしれません。