書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

彼岸の中日は観音懺法で決まり

お彼岸法要と言えば、普通はお施餓鬼です。本山でもお施餓鬼です。それを、何を思ったか、正太寺を始め近隣6ヶ寺では観音懺法をお勤めします。


いつの時代からなのでしょうかねぇ。


この法要をお彼岸に行う意図に関しては昨日の日記でだいたい書いてありますのでそちらを読んでいただくとして。


午前中に法要を行い、午後からは妻の在所のお墓参りへ出かけました。


車ですぐの近所なので、いつでも行けるのですが、そういう距離だとついおろそかになるのがお墓参りです。そういえばお盆もお参りしていないので、お彼岸はしっかりと。


そこのお寺さんは、最近若さんが結婚されまして、本堂にデジタルフォトフレームが置いてあって、そこに結婚式の様子が次々と映し出されていました。


いやぁ、私もやってみたかった、こういう表現。妻がシャイなので、自分の写真をあえて人前に出すと言うことはしたがらなかったですけれど。それに当時はデジタルフォトフレームなんて、たぶんまだ一般的な商品じゃ無かったですしね。


でもこうやって、結婚式に来れなかったお檀家さんにも、その様子を見てもらうというのは、素晴らしいです。仏前式の魅力を伝える一助にもなるでしょうし。


お寺の住職・副住職が結婚するとなれば、当然お寺で式を挙げることになります。お寺ですから出入り自由。招待状が無くても見に来れちゃいます。見に行って良いのです。


招待状は、主には披露宴に対してのものですよね。招待者の中で、特に式にも参列を願う方に対してのみ、挙式の案内も入れるわけです。


結婚式場のチャペルのように閉じた空間でしたら、招かれた人しか入れませんけれど、お寺ですからね。


本物の教会で行う場合はどうなのでしょうか。神父さんや牧師さんに、気軽に聞ける知人はおりませんので確認も出来ませんが。常に開かれている教会を、その時だけ貸切にするなんて、やってるのでしょうか。そもそも誰彼構わずお祝いした方がめでたいわけですしね。


そんなわけで、ちょっとうらやましく思ったデジタルフォトフレームでした。


いや、物じゃ無くて、中身の写真を公にしていることに対して、ですよ。