書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

合掌することの気恥ずかしさ

合掌する、つまり両掌を合わせること。お寺に行くとお賽銭を入れたときや、ご先祖様のお位牌にお参りするとき、お墓でお参りするとき、必ずすると思います。
この合掌という動作、私はもっと積極的にやっていただきたいと思っています。


一人きりの時なら平気で出来る合掌ですが、人前だとなんとなくしにくいということ、ありませんか?私が見ている限りでは、なんとなく、いつもよりこぢんまりとなっているんじゃないかなと思うときが多々あります。


気恥ずかしい。
しっかりと合掌することって、人前でするのはなんとなく気恥ずかしいのではないでしょうか。理由は色々あると思います。はっきり自覚しているかどうかは分かりませんけれども。


たとえば、合掌の仕方、礼拝の仕方、こうした動作は見よう見まねでやっていることと思います。だから、これで正しいんだと思えないから、あまり目立たないようにちょこっとやってしまう。
また、しっかりと合掌していると、信仰心をはっきりと示しているようにも見えるかもしれません。日本人はそうしたはっきりとした主張はどちらかといえば苦手という人が多いようですので、無意識のうちにちょこんとしてしまうというのもあるかもしれません。



合掌の仕方は簡単です。基本的には掌を合わせるだけです。出来れば、背筋を伸ばし、掌を合わせたときの指先が鼻の頭の高さにくるようにして、なおかつ地面から垂直になるようにするときれいです。
礼拝は、合掌したそのままの姿勢で、おじぎをするだけです。こちらも出来れば猫背にならないように腰から曲げるときれいです。


つまりは、手を合わせて頭を下げるだけの動作で、正しいのです。だから、堂々と手を合わせていただきたい。
堂々とするのは恥ずかしいと言わないでください。仏様に向かって、ちゃんと手を合わせてください。それはまさしく信仰の証であり、信仰心の表現です。せっかく仏教を信仰しているのに、それを自分で堂々と表現できないというのはもったいないことです。


なんとなく「うちは昔から仏教だから」とは言わずに、まずは手をあせてみてください。2500年前から、時代に合わせて変化をしながら現代にまで続いている仏教です。続いているって、すごいことですよ。なぜ続いているのか興味が沸きませんか?
まずは、気恥ずかしいと思わずに、堂々と手を合わせてみてください。