書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お説教のタイミング

お年忌のとき、お経の後にお説教をするのが正太寺の決まりごとです。お檀家さんも分かっていますから、最初からちょっと憂鬱だったり、おっ、始まるか、と思ったりするようです。


法事後の昼食にご一緒するときなどは、お説教の話題になることもあります。そういうときは、今日は成功だったとうれしくなります。逆に一切話題にならないと、もう少し中身や話し方を工夫しなければ、と気を引き締めるのです。


そのお説教は、今日はお経の前にしてみました。以前にも一度、お経の前のタイミングでしたことがあります。話の内容によっては、お経の前にしたほうがいい場合もありますよね。今日話す予定の話も、前のほうがしっくりくるような気がしたんです。


和尚の話はいつでもお説教になる。私としてはそういうのが理想です。口を開けば、それがお釈迦様の教えにかなっている、そしてそれを伝えるように話せる。自然に話していることが、相手のためになるように。そんなふうにおしゃべりが出来たらどんなにすばらしいことでしょう。


時には「お説教です」と大上段に構えてしたほうが効果的でしょうし、時には雑談の中に大切な教えが混じっていて、自然と伝わることが効果的でしょう。時により、相手により、それは様々でしょうけれど、私はおしゃべり流を得意分野にしたいなと、思っています。


でもそれって難しいです。「お説教」と構えての話なら、事前に原稿を作って、話し方や身振り手振りも練習しておけますけれど、日常のおしゃべりの中にそれを混ぜ込むとなると、常に違ったシチュエーションで、リアルタイムで考えながら話さなければならないってことですものね。
ほんとに、それが出来たら、お釈迦様なんだろうなと思います。ちゃんと教えが身についていて初めて出来ることですものね。先は長いなぁ・・・そんなことできるかなぁ・・・