書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

曹洞宗の人権学習

曹洞宗が一番力を入れているのは、同和問題に関係する人権問題についてです。部落解放同盟からいろいろとご教授をいただいているわけです。
でもまあ、個人的には思うところもありまして。


曹洞宗内部でも、外部の団体からの言ってみれば圧力という形で学習を進めていることに抵抗があるのも事実です。(日記という形ではあるものの、ここにこうして公に書くことの重大性も理解はしています)
そりゃ普通はそうですよ。圧力をかけられればはねのけたくなるものです。


私はどうかというと、いわゆるエセ同和と呼ばれる詐欺商法との区別が付けにくいので困っています。ですから、曹洞宗にはまずエセ同和撲滅のための運動をしてもらいたいな、と。


そして、我々はやはり僧侶ですから、過去に差別戒名をつけた僧侶がいたという事実はしっかりと受け止め、謝罪し、その上で、僧侶としてあるべき行動をするべきであると考えています。


どんな行動かと言えば、それはもう、布教しかないでしょう。
差別意識というものは、無くせといって無くなるものではありません。自分が差別をしているということ自体に気づいていないのが差別問題の一番難しいところです。そのことに気づいているならば、普通の人間でしたら自ずと是正することてじょう。


では、差別意識に気づくにはどうしたらよいか。
私は曹洞宗の僧侶です。「坐禅をしましょう」それだけです。手ほどきもいたします。正太寺には坐禅堂がありませんから、道元禅師がお示しくださっている坐禅を忠実に行うことは出来ませんが、本堂を坐禅堂に見立てて行うことは出来ます。


仏の行である坐禅をひたすら続けることによって、自分と、自分の周りの人と、そのまた周りの人と、空気も水も草も木も動物も空も星も、すべてが一体であることに気がつけば、差別が起こる余地もありません。


仏の教えによる救いを実践することが、我々僧侶の最もなすべきことであると思います。他に何をしたって、慈善事業にしかならないのではないかとすら思います。慈善事業では、例えば同和問題であれば、被差別部落の人たちに対象が限定されてしまいます。しかし、仏の教えによる救いは、普く人々が対象です。
分け隔て無く、すべての人に仏教を説き示すこと。曹洞宗であれば坐禅の実践を勧め、指導していくことが、差別解消へのなによりの取り組みであるはずです。


そういう視点が、なぜか出てこないんですよね。もしくは、出せずにいるのか。
考えることの多い夜でした。