書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

日記のネタを思い出せない

またしても朝から軽く頭痛が続いています。夜になっても。調子が良かったのは、お年忌をやってる間だけかなぁ。軽い頭痛なら、適度な緊張感と高揚感が、痛みを忘れさせてくれるようです。しかし、最初にひどい頭痛に見舞われて4日間も寝込んだのは、お盆のおときの真っ最中のこと。ひどいときは緊張感がさらに状況を悪化させることになるのは、すでに証明されています。恐れなくてはなりません。


昨夜は23時頃に、突然の頭痛でした。いきなり、最大限に痛い頭痛が襲ってきました。眉毛を指圧すると、気持ちいいじゃないですか。でも、気持ちいい所もあまり強く押すと、痛みに変わります。右の眉毛を思い切り強く押されたような痛みでした。そこから少し奥に入った所までに書けてがもの凄く痛いのです。だから右目だけ、また涙目。


歩くのにも辛い中、歯磨きをし、ハアハア言いながらベッドに入ったわけですが、痛みのためになかなか眠れず。久しぶりに、左半身の反応を確認してしまいました。ちゃんと指先まで動くかどうか。頭の右側が痛いから、もし欠陥でも圧迫されているなら、左半身に麻痺が出るはず。それが真剣に心配でした。もう、こんなの嫌だ。安心するためにも、ちゃんとした検査を受けたい気持ちです。


閑話休題


今日は晩方に車を運転しながら日記のネタを思いついたのです。これで夜になって考え込まなくても済むと喜んだのですが、運転中のためにメモも取れず。いつもなら信号待ちの長い交差点で、iPhoneにボイスメモを録るのですが、根拠もなく忘れないような気がして、それもせず。けっこういくつかの信号で長く待っていたのですが。(まあでも、信号待ちとはいえ、運転中であるわけで、危険な行為かも知れませんしね。ボタンを2つ押すだけとはいえ。)


それで結局忘れてしまっては、せっかくの電脳デバイス(死語?)を活かしきってないと思うのです。もったいない話だと。こうやって忘れていくネタが、なんと多いことか。車を路肩に止めてでも、メモをするべきなのですよ、きっと。もちろん安全な場所で安全に停車しなくてはなりませんが。そうしてメモしたものは、きっと後々活かされるのです。思いつくのは、日記のネタばかりではありません。もっと重要なことを、今までに何度も忘れてきました。もったいない。何とももったいない。


簡易にメモする機器を整えてあるのですから、それを活かしきるのが義務と思わなくてはなりません。でなければ無駄遣いです。心してかかりたいと思います。