書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

さあ、宗務所へ

明日は決算所会。第四宗務所管内の全教区長さんよって構成される議会である宗務所会にて、宗務所決算書を審議していただきます。

ちなみに、5名です。

その前にも宗務所護持会と宗務所寺族会の新年度を迎えての役員会が開かれます。が、そちらでの私の仕事は昼食の手配だけなので、決算にのみ力を注いでいるところです。

決算書を何度も見直しました。先週の職員会議でも備考欄にではありますが誤りが見つかりましたが、それも当然直しました。新たな間違いがないか、必死に探しますが、もう無いはず。

数字にも間違いはないはず。監査に備えて全伝票をチェックしましたし、残高としっかり合わさることも確認しました。合わなきゃ困りますけど。

もう問題はないはず。でも、議決をいただくまでは緊張を解けません。しんどい性分です。

ちなみに、職員の中でもタブレットがだいぶ普及してきまして、9名中6名が、資料をPDFなどで配布しても対応してもらえるようになりました。決算の時は決算書ぐらいですが、予算の時には関連資料が大量になりますので、それらの印刷と配布をしなくて済むというのは、私も、書記さんも、大助かり。この流れ、どんどん広めていきたいです。

カレンダーが空白の日

なんだかんだカレンダーが埋まる日々を送っている住職です。そんな毎日ですが、今日は真っ白。一応、何もない日。

何もない日でも、それは外に出る用事がないというだけで、こういう日にこそお寺の仕事をこなさねばなりません。休日とは無縁の生活。

と、思わせつつ、こんな日々だからこそ、休む時には休むんです。子どもたちの休日とうまく合わせて、旅行に費やすことが多いです。だから、また旅行に行ってる、なんて言わないでください。たまの休日だからこそ、子どもたちと思い出作りをしておないと、「どこにも連れて行ってもらえなかった」となってしまうんです。

私がそうだったように。

ちなみに、父、師匠でもありますが、父が休日にどこにも連れて行ってくれなかったわけではないのです。文字通り、休日がなかっただけなのです。そのことを思えば、いくつか役を担いながらも子どもたちと出かける時間を確保できる私は、恵まれています。

いやまあ、本当の意味で出家僧であれば、置いてきた家族のことを意に介さずに本来の役目を果たすべく邁進できるのでしょうけれど。それを突き詰めた場合に、後継者を据えられる自信がないので、どうにもなりません。自分の子どもたちの親を思う気持ちに頼らなくてはならない。難しい世の中です。

そんなわけで、今日は平日ですからどこか出かけるというわけにはいきませんでしたので、普通に仕事をしておりました。来週、これは家族とではないですが、出かける予定があります。それが久しぶりの休日となる予定。楽しみです。

PTA本格始動

今夜はPTAの役員が全員集合。全体で行事予定や予算など、週末の総会で提示する内容を確認、議決をし、その後は委員会ごとに年間をとうしての具体的な活動の確認をしてもらいました。各委員長は先週末に引き継ぎを終えていまして、それを受けての内容です。

私は引き継ぎの場にはいることかなわず、今夜の各委員会を回りながら、なんとなくどんな引き継ぎだったのかを想像するのみです。

この小学校のPTAはそれほど大げさな活動はありませんので、後追いでもなんとかなるかと、楽観的に考えています。

どの役員さんも、おそらくは仕方なしに引き受けたという心持ちなはず。でも、ことここに至ってはやるべきことをしっかりと、という姿が見て取れました。ありがたいです。

PTAにおいて、会長なんてものはお飾りです。実際に体を動かすのはそれぞれの役員さんたちです。顔を出す回数が多いだけで、委員会の中身は各委員長にしか掌握できません。会長がどんなに頑張ったって、組織はついてきてくれません。

もっとも、本当に何もしない会長では、やる気のあった役員さんたちも、すぐにやる気をなくすでしょうから、わからないなりに手を動かし必要はあります。そこをしっかりとやっていこうと思います。今夜初顔合わせだった皆さん、この一年、大変な局面もあるかと思いますが、よろしくお願いします。

痛風になりそう

実は、贅沢をしています。

巡礼の旅の間、旅館での食事も立派でしたが、実はお昼ご飯にも予算を割いていまして、旅行社の担当さんにお願いして、いいものを出してもらっています。1,000円を切る価格帯で昼食を手配しようとすると、なんだか残念なことになるケースが多いんです。ですから、最低でも1,500円のメニューにするようにお願いしています。

旅の楽しみの一つは、食事です。ここで評価を下げてしまうと、次回の参加を得られなくなってしまいますから。

そんなわけで、昼夜なかなかいい食事だったのです。そして今日もまた、法事の後の食事に呼んでいただけまして、美味しいお料理をいただいてしまいました。

痛風になりやしないかと心配です。

基本的には和食なのですが、お米を控えめにしようが何しようが、法事の後席のメニューをまともに食べてしまえば、明らかに食べ過ぎです。たまになら良いのでしょうが、住職していればどうしても頻度が上がってしまいます。

かといって、子どもも手がかからなくなって来て、消防団の大役も終わり、お誘いを断る理由がさほど見つからない現状、断るのは失礼というのもありますが、何より食事の席にご一緒することで、ご親戚一同とも親しくさせていただけるこの好機を逃すわけにはいかないという思いもあり、基本的には誘っていただければ喜んでついていく、ということにしていますから、頻度を下げるのは難しい。

頻度が下がるとしたら、法事の機会が減っているということになり、それはあまりよろしくありません。法事の場というのは、数年ぶりに親族が顔を合わせる場でもあり、幼い頃の記憶にも「なんだか知らないけどたくさんの人が集まったことがある」という具合に意外に鮮明に残るほど、大切な機会です。

一族の結束を図る、とまでは言わないですけれども、困った時に頼れる程度に結びつきを保っておくための、良い機会です。引き物を派手にしたりしなければ、そんなに持ち出しを発生させずに出来ると思いますので、定期的に勤めていただきたいなと思っています。

そんな具合ですので、もしも私の食べっぷりがよろしくないことがあっても、あまり気になさらないでください。節制をしているだけでございます。長くおつきあいさせていただくための方策でございます。よろしくお願いします。

土曜日は、仕事

二泊三日の巡礼の旅から戻り、参加された皆さんは少し休息を取ってらっしゃる頃でしょうか。普段とは違う体の動かし方をしていますから、しっかり休めた方がいいですよ。

私は仕事。土曜日ですから。お寺の土日は仕事です。ここで法事の予約がないと、他に予定される収入というものがありませんから。

僧侶なのに、収入を求めないとならない今の日本仏教の立場は、なんとも辛いですな。

宗務所の仕事も、先週は月曜の一回しか出勤していませんから、いくつか処理すべき仕事が発生していることでしょう。決算所会に向けては、準備は整っているはずですが、心はそわそわ落ち着きません。

旅から戻り、間髪入れずに現実に引き戻されています。その現実の中にあっても、槇尾山での、みんなが優しかったあの空間を思い出しつつ、それを皆の日常に再現できないものかと思案を巡らせようと思います。

西国三十三所巡り第2回、最終日

二泊三日の巡礼の旅、とうとう最終日です。一番体には堪える(でも幸せな気分になれる)槇尾山を終えて、あとはもうそんなに大変じゃないよー

と思いきや、実は奈良の長谷寺の階段は、すごいんです。どこまで行って階段という感じ。

他にも壺阪寺、岡寺と、見どころのある札所を巡って来たのですが、やはり長谷寺は別格です。真言宗豊山派の総本山にして、御開山の得道上人は西国三十三所も開創した方。中興花山法皇も大切ですが、得道上人がそもそも開創してなければ今の世には西国三十三所はないわけで、やはり一番大切な方となります。

今回は隣寺の総代さんのご縁で、拝観案内もしてもらいました。お話を伺いながらの道中でしたので、長い階段もさほど苦にならず。いいものですね。

最後に得道上人をおまつりする法起院に参拝して、今回の予定を全て完了しました。帰り道も順調で、ちょっと眠ったらあっという間に湖西に帰って来たような感じです。実際は法起院を出てから4時間ほどはかかっているんですけれど。

これで全4回の行程のうち、半分を終えたことになります。後2回。なんだかちょっと、終わってしまうのが勿体無いような感覚も出始めました。今回の旅程の中で、百観音お参りしようという話も出て来ましたので、板東と秩父の観音霊場にも引き続きお参りしたいと、構想を練り始めました。あまり先の話をすると途中で何か起こりそうで怖いのでとりあえずは西国を回りきることに専念しますが、その後もあるとなると、楽しみが増して来ますね。

西国三十三所巡り、第2回2日目

紀三井寺の桜

2日目の今日は、紀三井寺粉河寺、そして槇尾山を巡ります。紀三井寺は階段こそあれ、街中のお寺。粉河寺は平地のお寺。大変お参りがしやすいです。

桜も満開。例年よりも激しく遅い開花となった今年の桜、そのおかげで今回の旅は、桜、桜、桜の旅となっています。(写真は紀三井寺にて撮影したもの)

本日最後にお参りする槇尾山は、正確には槇尾山施福寺と言います。ただ、あまりに山であるためか、槇尾山という呼ばれ方の方が一般的、に感じます。施福寺にお参りに行っているのか、槇尾山に登山をしているのか、途中、よく分からなくなるからですね。

40代とはいえ、参加者の中では若手の我々和尚2名にとっては、先月に続いて2回目となります。先がわかっているのでまだ気が楽ですが、先月下見に来た時には、来月またここを登ることを考えてお腹が痛くなりそうでした。たった30分の山登りですのにね。

70を超えての参加となる方も多い今回の旅ですが、山門に至った時、ちょうど降りて来た方々は、なんと全員80歳以上ということでした。わしらでも行けたから、頑張って。そうやって声をかけてもらえたことが、皆さん心強かったようです。後からその話を何度も聞きました。

その方々以外にも、登っている間にたくさんの巡礼の方とすれ違いました。皆さん口々に励ましてくださいます。あの声かけ一つ一つが、力になっていたことでしょう。

そして、自分たちが下る番になると、今度はこちらが励ます番だと言わんばかりに、やたらと声をかけるんです。かけたくなるんです。そのひと声が、力になることを身に染みて分かっているから。

街中で出会ったら声を掛け合うこともない人たちと、ここでは昔からの知り合いかのように励まし合うんです。

槇尾山の山登り、大変貴重な経験をさせていただきました。みんなが優しい気持ちになってお参りをしてこれる、素晴らしい場所でした。

おそらく、西国三十三所の中でも最大の難所です。ここがあるからお参りに行くのを迷うという方もいるかもしれません。しかし、今回、皆さんとともにお参りをして、一番お参りに来たい場所になりました。もし再度イチからの巡礼を企画することになったとしたら、ここは大々的に宣伝をしたいと思います。

ちなみに、下見に行った時にはまだ寒い頃ですし、雨降ってましたし、全然人と出会わなかったんです。今思えば、もったいないタイミングで登ってしまったなと感じてしまいます。