書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

宗務所の最後のお仕事

まだ残っていたんです、仕事が。職員で積み立てをしていました。そのお金を使って先日の沖縄旅行へ行ってきたのですが、全額を使ったわけではなく、残金があります。それをみんなに配らなければなりません。

今日、新しい宗務所のお誘いで慰労会が開かれるので、その場に合わせて渡せるように、旅行の精算から積立金の残金の計算までを、急いで進めていたのでした。

計算自体は数日前に終わっていたのですが、いざ出金しようと思ったら、ATMの引き出し限度額に引っかかって全員分出金できず。通帳とキャッシュカードは持っているけれど、印鑑はよくよく考えたら宗務所にある。というわけで、今日ようやく出金ができることとなりました。気づいたのが昨日なのですが、今日でなくてよかったです。絶対間に合わなかった。

昨日、引き出し限度額50万円の中で、何人分かの出金をしました。今日、宗務所に向かいながら、さらに数人分出金しました。宗務所の近所の郵便局ATMを占有する時間を減らすためです。もちろん、印鑑が手に入れば、窓口で出金してもらえますが、1円単位まで細かく計算してありますから、総額を出金しても用は成しません。人数分の出金伝票を書くの嫌なので、ATMを使いたい。そういうわけで、通帳・印鑑・身分証明書を揃え、出金限度額を引き上げてもらうのでした。

宗務所で印鑑を拝借し、窓口で手続き。その後ATMを三回占有。後ろに人が並んでも、ぎりぎり許される範囲だと思います。これで無事に全員分の積立金残金がそろいました。間に合った。

旅費は総額を立て替えているので、それも出金しなくてはならないのですが、ATMの限度額を最大にしてもそこまで引き出せないことが分かりまして、これはまた後日としました。しょうがない。もういつでも引き出せますから、心配はありません。

さあ。そろそろ慰労会への出発時刻です。今夜はホテルをとりました。海外の予約サイトを経由して、だいぶ安く取れましたよ。初めてでしたけどちゃんと予約が通っていまして、当たり前のことに、感動。ここから徒歩10分くらい。遅れないように行ってきます。ゆっくりしゃべるのは旅行以来。新しい職員さんとお話しするのはすごく久しぶりです。楽しみです。

テレビ電話普及委員会

しつこいですが、テレビ電話の普及を願っています。携帯電話一つでテレビ電話ができるようになりました。それも一分いくら、という呪縛から解き放たれて。もっとも最近では、動画サービスの隆盛を受けて、光回線であってもトラフィックが増えすぎて、自宅に引いたインターネットであっても、月額固定料金で使い放題という料金体系がいつまで続くか怪しい状況があるようです。携帯電話のようにある程度以上使うときには追加料金、ということになるかもしれません。

それであっても、テレビ電話は魅力的です。表情を見ながら話せるというのは、それだけでいろんなトラブルを回避できます。しかしパジャマ姿では電話に出れないとか、いくらでも思いつく受け手側の問題でなかなか難しいわけです。

でも、それを逆手にとって、電話に出れない状況というのは当たり前にあるものだという認識を広めるのもいいんじゃないかと思います。携帯電話の普及のせいで、24時間いつでも電話が通じてしまう世の中になってしまいましたが、よくよく考えるまでもなく、それはとても不健全です。なんで上司からの電話に24時間対応しなくてはならないのか。せいぜい、大学で一人暮らししているときに友人たちが真夜中に電話をかけてくるシチュエーションぐらいしか、許される状況は思いつきません。

テレビ電話というのは、その人の家に訪問するのにも等しい電話です。夜、あまり遅い時間はそもそも失礼。朝早くも失礼。それが当たり前です。これは音声だけの通話であっても当然の認識だと思うのですが、なぜか許されると考える人が多いんですよね。私も仕事人間ですので、真夜中に電話が鳴ったら半ばワクワクと出てしまうたちですが、普通に考えておかしい。

仕事を終え、家に帰り、家族だんらんを楽しんでいるところに上司から呼び出しを受けるなんて、有り得ないじゃないですか。なぜか今はそれに応じなければ失礼、という変な風潮になっていますけれど。

テレビ電話が標準になり、音声だけの電話はよほど親しい間柄でなくてはかけないような認識に変われば、そうした家庭の平和を壊すか、会社での立場を壊すか、二者択一を迫られる事態も自然と避けられるわけです。

良いことじゃないですか。スマホのすごい深いところの設定をいじらないと音声だけの通話はかけられないようにしてしまいましょう。テレビ電話以外はかけられないようにしてしまいましょう。安易にクレーム電話をかける人も減らせます。

ああ、国際電話だけは別ですね。時差がある場合は、仕事が滞りますから、それはさすがに競争力がなくなりすぎます。

などという具合に例外事項が次から次へと出てくるかもしれませんが、それでも私は、テレビ電話標準の世界を見てみたいです。離れた場所にいる相手と、顔を見て話す。たぶん、電話を作るときに最初に願っていたのは、そういう電話だったんじゃないかなと思います。勝手な思い込みですけど。

とうとう病院へ行く

ずっと痛みを抱えている左手首について。なかなかほかの病院を紹介してもらえないので、初診で病院へ行ってきました。ご近所さんのお医者さんが勤めるところへ。受付で我がまま言って、その先生に診てもらえるように頼み込んで。

お祭りの時に屋台を引っ張りながら、相談はしていたのです。なかなか治療に進展がないので先生のとこに行くかもしれません、といったときに「いいですけれども…」と語尾が濁ったのは、たぶん紹介状がないと初診料が高いからかなと、それだけならもうこの際構っていられない、という思いで行ってきました。ほかに濁る理由があったとしても気にしてられなくて。

レントゲンとCTを撮ってもらい、先生が心配していた症状では無いことが確認されました。水曜日に大学病院の先生が来てくれているそうで、その先生にも診てもらいましょう、ということになりました。それまでにMRIを撮っておきましょう、ということにも。金曜日にMRIを撮って、来週の金曜日には診てもらえることになりました。こういう対応がすぐにしてもらえるのが、大きな病院のいいところだと思います。院内で回すだけですから、紹介状もいりませんし。

もちろん、今まで診ていただいた先生にも考えがあっての様子見だったとは思うのですが、自分で様子見を1年半以上も続けてからの受診でしたので、どんどん調べてもらいたいわけなのです。そこのあたりで、私の気持ちと先生の考えの不一致が生じてしまっただけなので、だれが悪いというわけでもないと思います。それこそ、私の口から、どこか別の病院を紹介してほしいと頼めばよかったわけですし。

整形外科って、かなり範囲が広いという話を今日伺いました。確かに、どこか痛ければとりあえず整形外科、という印象もあります。それだけでなく、痛みの原因は骨や筋じゃなくて血管かもしれませんし、可能性はたくさんあります。それを一人でカバーするなんて無理な話です。そう考えると、とにかくたくさんの先生に診ていただくしかないのかな、と思います。

液体洗濯洗剤のキャップを外すのにも苦労しています。空のフライパンも持ち上げるだけで痛みが走ります。これで何か原因が無いわけはありませんが、その原因を探るのは、思った以上に大変なのかもしれません。来週、運よく原因がわかることを期待していますが、もし分からなければ、次の先生への、どんどんたらいまわししてもらえたらと、そういう期待もしています。もう、一日三回ロキソニンを飲む生活はこりごりです。

しばらく準備に追われていたある会の新年総会

会員になって長いのに、昨年初めて顔を出した会合の幹事にいきなりなってしまい、よく分からずに前例に従って準備をしてきた新年総会が、今夜開かれました。

こんな時に限って、出席してくれる上部組織のトップが直前まで誰になるか分からないなど、いろんな理由で上座の人数がはっきりしないとか、なかなか難しい状況にあったのですが、その場になればなんとかなるものです。漏れ伝わってきた事前情報を頼りにもろもろ準備して、無事に散会となりました。

まだもう一回幹事として新年総会を準備しなくちゃならないそうです。2年で交代なんだとか。そんなことも知らずにやっていたのですが、そもそもこの会自体が年に一度しか開かれないので、一緒に幹事をしてくれた先輩和尚さんも、そういえば幹事は何年やるんだ、という感じでした。なかなか、いい感じです。

会場にお借りしたお店の支払いが済むと、ようやくほっと出来ました。宗務所ではこんな役割ばっかやってましたから慣れた仕事ではあるのですが、それでもやっぱり、全部終わるとホッとするんです。会計処理をして、収支報告書を作り、来年用のレジュメにさっさと反映させて、年末の案内を出す時期になってドタバタしないようにしておこうと思います。差し迫ってからでは思い出すだけでも時間がかかりそうですしね。

普通の年には会合の必要性すら疑問に感じますが、数年に一度、とても重要な会合にもなります。そのためには毎年ちゃんと続けていく必要があるという、なかなか微妙な会。嫌いじゃないですけどね、そういう存在。大事ですよ。

iPhoneは意外にも使うのが難しい

お義母さんにiPhoneを使ってもらおうという計画が以前からあったのですが、ついに行動に移しました。用意したSIMはデータ通信専用SIM。LINEのアカウントを取りたかったので、SMSだけはつけました。が、一度取ってしまえばSMSも不要なのでプラン変えても良いかなとかつらつら考えていますが、月100円の差額ぐらいでしょうか。手間を考えるとつい延ばし延ばしになってしまう案件ですね。

届けたiPhoneは6です。もう4年以上前の端末になります。時の流れは早いもので。この秋のiOSアップデートでは対象機種から外れるという話も出ていますから、いよいよ退役も近いという感じもあります。とはいえ、セキュリティ面の問題がなければ当分は使い続けられることでしょう。バッテリーも交換したし。

ただ、この古さが、iPhoneの使いにくい一面を際立たせてしまいました。指紋認証です。TouchIDです。iPhoneの正面に唯一あるボタン、ホームボタンに内蔵されている機能であり、ホームボタンを押して画面を点灯させれば、即座に指紋認証による本人確認が行われ、パスコードの入力をパスしてiPhoneの操作を開始することができます。

iPhone6S以降であれば、このTouchIDがスピードアップし、ホームボタンを押すとまず画面に表示される通知を読む間も無く、それが一瞬にして消え去ってiPhoneにアクセスできるようになってしまいます。当時、通知画面の存在意義が問われるほどのスピードでした。

しかし、iPhone6のTouchIDはそんなに早くありませんで、通知に少し目を通す時間があるほどです。これが、初めてのiPhoneを使うお義母さんには決定的に使いにくかったのです。

ホームボタンを押したあと、ほんのコンマ何秒でいいので、指を乗せたままにしないといけません。離してしまうと指紋認証に失敗するのです。この、乗せたままというのが、実は結構難しい作業でした。ホームボタンは長押ししてしまうと音声アシスタントのSiriが発動してしまいます。それを回避するべく軽く押そうとすると、ホームボタンを押した直後に指が浮いてしまうのです。

多分慣れの問題ではあると思うのですが、これが思いのほか難しくて悪戦苦闘。今日のところはまだ思い通りにロック解除できる境地には到達できませんでした。それぐらい難しい。

そういえば我が家の両親もiPhoneを使っています。どうして問題にならないんだろうとよくよく見てみたら、そうだ、TouchID、設定していません。パスコードを毎回入力しています。

毎回入力することの煩わしさを回避するために、お義母さんのiPhoneにはTouchIDの設定をしたのですが、もしかして失敗だったのかも…と思い始めました。

また、私はiPhoneのタッチ操作のことを、液晶画面を「押す」と認識してしまっていたのですが、実際には軽く触れるぐらいなんですよね。押す必要はないんです。むしろ意識して押すと、ドラッグ操作と誤認される可能性が高くなります。軽く触れる、もしくは軽く叩くぐらいの気持ちで十分なんですが、そのことに気づいたのは夜帰宅してから。私の説明が的確でないばかりに、お義母さんにはしなくていい苦労をさせてしまっているかもしれません。

それでも、これからは写真や動画を気軽に見てもらえるようになります。どんな大きなファイルサイズの動画を送っても、通信費が別にかかることはなくなりました。そもそもいわゆるガラケーを使っていますから、iPhoneから動画を送っても見れなかったんですけれど。

もちろん、メインの携帯電話は今までのままで、自宅に置きっぱなしで家族でやり取りするためのものとしてiPhoneを取り入れてもらいましたので、急ぎの電話がかけられなくて困る、という事態はないはずです。維持費も月々400円ぐらいですので、内緒で私が負担しています。

使いやすいと思い込んでいたiPhoneが、こんなに使いにくい部分があるとは思いもしませんでした。最近はiPhone顔認識のFaceIDに移行しつつありますが、マスクをしていると認識してもらえない、寝っ転がっていると認識悪い、暗いところも苦手という大きな欠点があるものの、画面を見るだけでロック解除できるというのは、TouchIDと比べるとはるかに使いやすいんだなと再認識しました。まあできれば、両方使えるようにしてもらえると、どんな場面でもロック解除がスムーズなんですけれどもね。

通帳忘れて農協往復

法人税の納入と入金のために農協へ出かけたところ、入金伝票もお寺で書いてバッチリ出来たはずのに、通帳を持っていませんでした。用意をしながら「通帳を持っていかなくちゃ」と考えていたはずなのに、あっさりと忘れて出かけてしまいました。昔と違って入出の中に農協はないので、行くだけでも少し手間に感じます。ガソリンも使います。もったいない。

ただ、先月納入した源泉税の領収証をまだ受け取っていなかったようで、次にご来店の際に仮領収証を持ってきてください、と教えてもらったので、全くの無駄足にはならない模様。先週領収証の準備ができたと連絡を受けていたはずなのに、まだもらいに行ってなかったのがそもそも問題ではあるのですが。

お寺に戻ると師匠が寺務室のパソコンを使っていたので、私が使えません。寺務仕事はパソコンがないと進まないので、しばらくは取りかかれません。すぐに農協に戻るのもなんとなく気恥ずかしいのですが、時間ももったいないので行ってきました。

そしたら、先ほどまではいなかったお巡りさんと地域交通安全委員という名称でしたっけ、その方々が詐欺電話と交通安全の啓発チラシを配っていました。ポケットティッシュと蛍光タスキも一緒入っていて、これはなかなかありがたい品をいただきました。特に蛍光タスキは、これをつけていればすごく目立つという代物で、車に対してかなりアピールをしながら夜道を歩けるようになります。そろそろウォーキングを再開しようと考えていたところですので、とてもありがたいです。

その後も寺務所が空かないので、午後からは寺院内モバイルをしています。普段は外付けディスプレイにつないでいるMacを取り外して(今はケーブル一本で電源も含めて繋がるので楽チンですね)、ダイニングテーブルで作業。こういう時は、高かったMacの価値を感じます。画面サイズも15インチで申し分なく、速度も組み版ソフト「InDesign」がサクサク動く。これがバッテリー駆動で数時間使えるのですからね。

発売から丸2年以上経っていてもこの性能なのですから、そりゃ価格は高くなるよなぁと、変に感心してしまいます。同性能のWindowsマシンはもう少し安く買えるはずですが、Macならではの使い勝手にどっぷり使ってしまった身としては、どうしてもメインマシンはWindowsに出来ません…

そんなわけで、バッテリー残量が7%となりましたので、寺院内モバイルは終了です。しばし充電。ギリギリまで使っていてもちゃんとデータが退避されてから電源が落ちる(はず)なのも、Macの良いところ。バッテリーが空になって放置してあっても、通電すると前回の続きから普通に始まるんです。これはまだWindowsでも実現されていないような。

最後、Macの宣伝になってしまいました。ご購入の際は相談に乗りますので、一声お声掛けください。仲間を増やせるのならば喜んでお手伝いします。

花草団子作り

涅槃団子とも、花草団子とも、俗には鼻くそ団子とも呼ばれますが、明日の御釈迦様涅槃会に合わせてお供えするためのお団子作りをしました。

米粉1kgに熱湯を750ccの割合。熱さに耐えながらこねこねして、四等分します。そのうちの三つに食紅で赤・黄・緑の色をつけて、最終的には四つを合わせてグリグリと練ります。食紅に小さなスプーンが付属していたので、それに一杯だけで十分でした。スプーンがないときは、そうですね、耳かきに乗るぐらい、でしょうか。合わせて練るときには、ねじるようにして練らないと、隙間ができてバラバラになってしまいますので、出来上がりのことなど意識せずに、とにかくしっかり練ります。そのほうが出来上がりが綺麗だったりします。

蒸し器に入るように後からバラしてもよし、最初からサイズ調整しながら作ってもよし。米粉1kg分であれば、30分も蒸せばOKです。

しばらく冷ましてから包丁を入れ、厚さはそうですね、5mm〜8mmぐらい。5mmに切ろうとすると、包丁の切れ味が良くないと難しいかも。

蒸し立ては柔らかくてうまく切れません。時間とともに切りやすくなってきます。でも時間が経ちすぎると今度は固くなって切れなくなりますので、この辺りはたまにちょっと切ってみて、試してみるしかないですね。1時間から2時間の間ぐらいがちょうど良いような気がします。

何枚か切ると包丁に団子が引っ付いて切れ味が落ちますので、こまめに洗わないといけません。いい方法があるかもしれませんが、差ほどの量ではないのでまめに洗うことで対処しています。

と、ここまでさも自分で作ったかのように書いて来ましたが、大半は妻が作っています。私は食紅をよそったのと、最後に切るところを手伝ったぐらい。ははは。

最後にお皿に盛り付けて、明日お供えする準備を整えます。いくつかはラップに包んで、お参りの方がお持ち帰りできるようにしておきます。全部包んでしまってもいいのですが、盛り付けが美しくなくなってしまうので、見た目重視の部分も少し残しておきました。

年々持ち帰ってくれる方が減っているように思いますが、さて、今年はどうでしょうか。御釈迦様のお涅槃をご供養するためのお供え団子です。お下がりをいただくと、きっと御釈迦様の身近に感じられますよ。