書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

いよいよ今月 晋山結制

ずいぶん先のことのように感じていた晋山結制も、いよいよ今月です。ちょっとずつ後回しにしていたことを、一気に進めないといけません。役員さんとの会合も開かなければならないし、随喜のお寺さん方へお手紙も出さなくてはならないし。

まだまだ境内の整備も手をつけなきゃならないところが多いのですが、それも果たしてやり切れるか、少し不安になってきました。

毎日準備をしていられればいいのですが、そういうわけにも行きません。そうして気がつくと一日が終わっています。定時上がりを目指しているわけでは当然なく、最近の目標は0時を越えないことというとても消極的なものなのですが、それも守れない状況。

そんなに時間をかけて何をしているのかというと、考え込んでいる時間が結構長いですね。

手紙を書くには大枠ができあがらないとなりません。その上で取り掛かるのですが、大枠を考えるのにまず時間がかかり、それを元に手を動かし始めるのにまた一つ「よっこらしょ」的な勢いづけが必要。

ある程度形になり始めるとあとはどんどん進むのですが、やはり形を作るというのはとても難しいものです。今まで自分が随喜する側の時にいただいたお手紙を見返しながら、正太寺のケースに当てはめて、ああしようこうしようと悩み悩んで、日が暮れるどころか日が変わるんです。

他のこともいちいち考えを巡らす必要があることばかりで、結論を出すのに時間がかかります。誰かに相談したところで、本当の意味で正太寺のケースに当てはめられるのは私しかいないわけで。責任の重大さに今更ながらに肩の重みが増していくのを感じます。

怖い部分もあります。自分の行動全てが自分への評価になると思うと、とても怖いのです。第三者の評価なんて気にせずに今まで生きていたから、余計に怖い。自分への評価がそのまま正太寺への評価に直結しかねない。自分の評価がどん底なのは構わないですが、正太寺の評価を落とすわけにはいかない。いよいよ自分と正太寺が一体化していくのを感じます。

怖い。

すでに書類上では私は住職です。法律上は代表役員です。その立場は晋山結制後も何も変わりません。今までも自分の行動の結果が、自分の評価だけでなく、正太寺の評価にもつながっていたはずなのです。でも、晋山結制を通して、そのつながり方が半端なくダイレクトになるような気がします。

晋山結制を修行するには、それなりに資金が必要です。これほど大勢のお寺さんに手伝ってもらう儀式は、普通のお寺であればあとは住職の葬儀ぐらい。

これを修行することで、自分とお寺のつながりが同体と言えるほどに強力なものとなるのであれば、多少無理してでもやるべきだな、と思います。そこで生じる責任感、覚悟、エトセトラ、それらを得た住職がいるということは、檀家さんにとっても良いことでしょう。

最近は資金難で晋山結制をなかなか修行できないお寺もあります。そんな時こそ、檀家さんがバックアップしてあげて、多少無理矢理にでも晋山結制を実現できたらいいんじゃないかと思います。

正太寺の晋山結制も、多少の無理がある中での実施となります。檀家さんが、寄付をしてでもやってもらってよかったと思えるように、寝る間も惜しんで精進しようと思います。

・・・いや、寝る時間はちゃんと確保したほうが良いよね。長く住職として活動しないと、勿体無いから。

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