書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

人前で話すということ

中学生の娘が文化発表会の合唱披露前に、学年の紹介をする大役を拝命していました。

なぜそんな大役が回ってきたのかは謎なのですが、ともかく、しばらく前から内容に悩み、何とか作った原稿に先生が手を入れてくれて、いよいよ発表という今朝。

「変なこと言ってるって思われたら嫌だなあ」

と漏らしていました。先生の添削も受けてるのだから、他の学年の紹介文と比較しても特段変な内容ではないはず。

ただ、私の血を引いた影響であえて変な文でも入っているのだろうかとも考えましたが、それなら朝のようなぼやきにはならないはずだし。どういうことかと心配していました。

時間の都合を無理やりつけてあったので、妻と一緒に私も参観へ。ビデオカメラ片手に娘の語りに耳を澄ませます。

何も問題ありません。それどころか、まるで高校生かなというぐらい、しっかりした文章でした。

緊張からなのか早口にはなっていましたが、聞き取れないわけではなく、時間の都合で早口でしゃべったと言っても通用する程度。

これだけしっかりしていて、何を心配することがあるのだろうと、父親は懸命に想像を巡らすのです。

中学生という年代は、ほんの些細なことが後を引きずります。30年前の小学生男子を苦しめた、学校のトイレでうんちが出来ない問題と匹敵する、理不尽な落とし穴が幾つも転がっている年代です。

そんな中で生活しているのですから、ほんの一言の内容を、その後ずっと取り上げられる可能性を思い、憂鬱になったのかもしれません。

何事もなく今日を終えて帰ってくれば、いつもの笑顔を見せてくれるでしょうか。

彼女が本当にやりたかったのは、ピアノ伴奏。今回は他の子にオーディションで負けました。先生の話した理由を聞いても?だったのですが、それぐらい些細な差しかなかったのだ私は思っています。

まだ来年があります。そろそろ来年もある、というのを再び信じられる状況になってきましたし。来年こそはピアノ伴奏をゲットするために、今年とは違う視点で練習を重ねるよう、アドバイスをしようかな。

私も中学生の時に一度だけピアノ伴奏を担当しました。あの時の緊張感を思うと、やりたがる気持ちがさっぱり分かりません。でも他のクラスの子は、やりたくてやってる感じでしたね、そういえば。

歌っている方が気は楽だと思うんですけど。47年生きても、理解できないことが山盛りです。 人生未知ばかりで楽しい。

なぜピアノ伴奏をやりたいのか。今度、もっと深掘りして聞いてみようかな。以前聞いた時は、歌うより気楽と言ってました。深掘りしてもこれ以上の理由はないのかもしれません。でももう一度、聞いてみようと思います。