書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

カンペ作り

暗記の必要が無いのでカンペとは言わないはずですが。

晋山結制の最中に、新命住職が法語という文章をいくつも読み上げます。その一つ一つについて、奉書紙に墨書し、折りたたんで侍者に持ってもらって、次第に応じたものを順々に渡してもらい、読み上げます。

書いたものを読み上げるというのは、おそらく最も格式の高い方法です。アドリブではなく、あらかじめ文章を練り上げ、その場に備えて来たという証です。祝辞などを読み上げるのもそういう理由です。

住職という立場上、最も身近なあいさつというと喪主挨拶になります。私の狭い観測範囲でのことですが、最近は葬儀屋さんの用意した文章に自分なりに手を加え、それを手に持って読み上げる方が増えたように思います。以前は文章をあらかじめ考えはするものの、半ば暗記をして話し方の方が多かったような。

機会あるたびに、堂々と原稿を広げて読み上げれば良いんですよとアドバイスしてきた私の成果なのか、葬儀屋さんのアドバイスなのか、はたまた世の中の流れが自然とそちらへ向かったのか。

こういう時は葬儀屋さんの影響力の方が大きいんですよね・・・

とはいえ、葬儀というのは突然のことです。喪主挨拶を丁寧にしたためて臨むというのはちょっと違うかもしれません。ビシッと綺麗に畳まれた紙よりも、ちょっとシワシワになった紙を広げて、時々読み間違えたりしながら読み上げる方が、場面に合っているとは思います。だから、それこそ堂々と、読み間違えも気にせずに、精一杯声を出せば良いんですよ。

今回の場合は十分に準備時間のある話ですから、法語を書いた紙の仕上がりにも気を配らなくてはなりません。折りたたみが汚ければ、雑な準備をしてきたことになってしまいます。大半の人の目には触れないものですが、実際に手にする自分がきっと許せない。

ですけれども。

ついにこの歳まで悪筆は治らず。IT技術に一般の人よりも通じているのも、全ては手書きから離れるため。つまり私が一番丁寧に準備するということは、パソコンで作って印刷する、ということです。許されるならタブレットにしたいのですが、時代が追いついてきません。そこで無茶をせずに時代に合わせるぐらいには、落ち着いた大人になりました。

折りたたむ紙に合わせてちょうど良い場所に文字を印刷するというのは、実は結構難しい技術です。定規で測って位置合わせしても、滅多なことではその通りに印刷されません。印刷屋さんで専門で仕事にしている人ならば可能なのかもしれませんが、私にはまだ無理。

どうせ定規で測ってもずれるので、大雑把に位置合わせをしてテスト印刷をして、そこから微調整をすることで整えていきます。

奉書紙には直接印刷できないので(紙送りに失敗しがち)、奉書紙風のOA用紙も調達。A3であってもお寺でよく使う奉書紙のサイズより小さいのですが、まあそこはそれ。気にしない。

原稿は昨日半分ぐらい出来ているので、今日は原稿ができている分だけ、印刷データを作ってみることにしました。日中は色々あったので夕方になってもまだまだの状態ですが、まあそのうちには出来上がりそう。

奉書紙のたたみ方も、いろいろなんですよね。今作っているのは中にお香を忍ばせるものなのですが、YouTubeで晋山結制のビデオをいくつか見たものの、みんなちょっとずつ違う。本に書いてあるのともまた違うし。そもそも禅師さんのも本と違う。私は良いとこどりをすることにしました。ここに半日ぐらいは考え込んだので、もう踏ん切りをつけないと。

最後に、江川禅師が大本山總持寺へ晋住された時のYouTubeを。初めて見つけて、感動しながら見ておりました。本山は広いなぁ。

youtu.be

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