自分が喪中であってもおめでとうということに、なんら躊躇のない和尚です。昨年は師匠の兄が亡くなりましたので、気分的には喪中なのですが、新しい年を迎えられたことには喜びを感じるべきだと思います。生きて迎えられたんですから、めでたいじゃないですか。
もちろん、喪中の方に対しておめでとうと言うほどデリカシーを欠いているわけでもありません。そこは自分の考えをぶつける時ではなく、相手の気持ちを尊重するべき時ですから。
そして無事に新年が幕を開けました。昨年しでかしたあれやこれやがチャラになるわけではありませんが、気持ちを仕切り直して立ち向かうには良いきっかけとなります。人間の体と精神は相互に影響しあっていますから、それぞれのポジティブな部分をうまく掛け合わせて、良い年を紡いでまいりましょう。
正太寺にお手伝いして欲しいことがありましたら、遠慮なくお声がけください。ノータイムで応じるわけではないですが、頼られたら頑張る性分です。
元日も瞬く間に時間が過ぎ、時計の針はすでに19時を回りました。1年の365分の1が経過してしまいます。
光陰矢のごとし。
前へ前へ。
立ち止まるなら、立ち止まっている時間すらも最大限活かして。
・・・そんなことをずっと考えていると息が詰まりそうですが、寸刻を惜しんで修行せよと言われてますので仕方ありません。
今日が良き日であれば、今日一日は満足して過ごせたことになります。それを365回繰り返すと、1年間、満足して過ごせることになります。頑張りましょう。
なんかね、1日にコーヒー1杯我慢すればあれが買えますよ、これが買えますよ、というのに似ている気がしなくもないですね。
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