何を言っているの。仏事じゃないです。なんとなくタイトルに書いちゃったので消しませんけど、仏事じゃないです。
親戚の50日祭に参列してきました。禰宜様の終始丁寧な儀式信仰に感服。あの丁寧さは私は出来ていないな。フレンドリーさでは自信ありますけれど。
神式の儀式に参列するのはご葬儀以来。大体同じ流れで儀式は進んでいきますから、葬儀の時のことを思い出しながら、次はこれかな、次はこれかなと考えながら時間を過ごしました。
私も慣れていませんが、施主も慣れていません。禰宜様を迎えて開式までの間の時間の流れもややぎこちなく。私が法事を勤める場合には、開式のきっかけはお施主さんからの「全員揃いました」という申告、もしくはこちらからの「皆さんおそろいですか?」の問いかけから始まります。
今日は支度の済んだ禰宜様がおもむろに儀式に取り掛かるという感じで、じわっと始まりました。新鮮。ちょっと予定時間過ぎてましたので、禰宜様も焦っていたのでしょう。通常は午前中のところが今日は午後からでしたから、きっと綱渡りのスケジュールで今までお勤めしてきて、お忙しかったんでしょうね。
私は私で、直前まで葬儀で維那を勤めていて、儀式進行においては導師よりも目立つ立場にいました。それが一転して今度はただ座ってその場にいるしかないという立場。なんとももどかしい。
法事に参列している方の気持ちはこんな感じなのかなぁ。全力で勤めることと、前後の会話のフレンドリーさ、儀式内容の丁寧な説明をひたすら心がけてきました。少しでも前屈みに参列していただけているといいのですけれど。感想を聞いても正確なところは分からないしなぁ。
いろいろと考えるきっかけをもらえた時間でした。それにしても、何度も言いますが、入出の禰宜様はとても丁寧。うっとりしますね。時間は長めになりますが。
次の機会は一年祭でしょうか。もう少し神事についても勉強しておこうかな。
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