書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

「食う寝る坐る 永平寺修行記」読了

ようやく浜松の師匠から借りた「食う寝る坐る 永平寺修行記」を読了しました。

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前回の日記で書いたときにはまだ前半分も終わらないぐらいで取り上げたのですが、そこからまだまださらに修行入りたての頃の記述が続き、なんとも言えない気持ちを思い出しつつ読み進めました。

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残り3分の1ほどになると時間の進み方が急に早まります。ようやく厳しい中にも自分なりの向き合い方が出来るようになり始め、読んでいる方も心穏やかに読み進めることができました。

最初から気になっていたことがあります。おそらく筆者は1年間で修行に区切りをつけたと勝手に想像していました。もしかしたら前書きかどこかに書いてあったのかもしれませんが、ずっとそのつもりで読み進めていました。そして、お寺の後継者ではない境遇にある彼が、自分の意思で出家してお山に上がり、実直に修行に向き合っている彼が、どんな考えに至ってお山を下りることにしたのか。

ほっといたら何年でも修行を続けそうな気もするのに、どうして下りることになるのか。それを気にしながら読み進んでいました。ですから、残りページが少なくなるほど、いつその回答が描かれるのかと楽しみで楽しみで、仕事の合間にちょっとずつ読んでいたのに、最後は一気に読んでしまうこととなりました。

そして読み終わって。筆者の心境もつぶさに描かれていて、それでもすんなりと理解できるようなものではありませんでした。禅問答ほどではないものの、それに近いような、どんなに事細かな書いて示しても、やはり人間の心の内のことです。他者が完全に理解することなど不可能。それをそれとしてよしとしなくては、いつまで経っても読み終われません。

そもそも大体曹洞宗の修行が全体的にそんな感じで、疑問が湧いてもとにかく言われた通り修行しろ、答えは後からついてくるというもの。もちろん指導僧に質問するチャンスもありますが、思ったよりも少ないチャンスです。行者と呼ばれる、偉い人の付き人のような役に就けば、直接お話しする機会も増えていろいろ学べるでしょうけれど、どの役につくかの希望は出せません。うまいことはいかんのです。

そんなことを考えながら、とうとう読み終えました。自分は、師匠から1年半は行ってこいと言われて半年で下りましたので、その時のことも脳裏によぎりながら。あれは今でも正しい判断だったと思っていますが、なぜそうなったかについてはまた後日。

良い本でした。濃密な本山での日々を、私は總持寺といえども思い返させてくれました。一般の方が読んだらどんな反応になるのだろうと気になってしょうがないので、一冊買い求めて、本堂に置いておこうかと思います。檀家さんのいく人かは興味を持ってくれんじゃないかな。

さて、次の問題は、どうやって師匠に返しにいくか、です。ちょっと緊張するわけですよ。

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