書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

心で思うに留めるか、口に出すか、大きな差。

今の自分に満足していますか?

変えたい部分はありますか?

もしもそう思うのであれば、そのことを口に出すと良いようです。周りに人がいれば尚更良い。周りの人が、自分を知る人であれば、さらに良い。

心に思うに留めるべきこともあると思います。しかし、そうではなく、何かしら自分を変えたいと思うのであれば、口に出し、声に変え、誰かの耳に入れるべきです。

いつも言うだけで何も変わらないと評価されてしまうかもしれません。それでも良いのです。変えたいと言う意思があるのなら、口に出すのです。

自分の心の中というのは、誰も覗いてくれません。想像はしてもらえても、その想像は何も力とはなりません。

口に出すのです。誰かに聞いてもらうのです。その一言を聞いた誰かがその言葉に影響されることがあれば、その時点で少しだけあなたの世界は変わります。いくつものそうした変化を積み重ねて、自分の望む世界へと変えていけるのです。

もちろん自分でも変化をするべき努力が必要です。その努力があればあるほど、周囲の人もあなたに良い影響のある行動に出てくれる可能性が高まります。

心に思うだけで、自分の気持ちを、意思を、隠したままでは、誰も気づいてくれようがないのです。

語らないのが美徳かもしれません。でも、自分のためにならない美徳なら、捨て去ってしまいましょう。

なんてことを考えたのは、お通夜の場にて。棺に眠る故人に、お別れの言葉をかけようとも、なかなか声には出せないものです。自然と泣けてきてしまいます。周りの人に聞かれるのも恥ずかしい。

でもきっと、声に出した方が、伝わるはずだよなぁ。と思ったのです。故人だけではなく、周りにいる人にも伝わります。そこもとても良いことだと思うのです。

恨みがあって罵倒したい場合ですら。それでもお別れに来たんだという関係性を、みんなに知ってもらえます。

思うことがあるなら、口に出しましょう。もちろん、出してはいけないものもありますが、それはちゃんと選別して。

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