書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

母校の学長が、若かったはずの先生に代わっていた

母校から同窓会報が届きました。角2封筒に包まれて。学部ごとに同窓会が別れているとはいえ、その発送部数はかなりの数になるはず。発送作業は当然委託だろうなぁ。一体いくらかかってるのかなぁ。

なんてことを考えながら開封し、新学長の挨拶なんてあるものですから、今はどなたになったんだろうと見てみたら。

私の在学中にはまだ若手だった先生に代わっていました。当時よりも幾分柔和な表情になってますね。卒業して23年。そっかぁ、それぐらいの時間が経つんですね。

最後にお話ししたのは、多分卒論の口頭試問だったと思います。3年次まではそこそこ学校に通っていましたが、4年次はゼミしか出席しませんでしたから・・・

今思えばもっと講義をとっておけばよかったなぁ、と。単位は足りていたので、聞いてるだけでもよかったんです。試験受けなくても何らダメージはありません。卒業後の進路は御本山で修行でしたし。

卒業式も出れていないんですよ。その時すでに修行中でした。修行に入って一週間ほど経っていれば、特別に卒業式だけ出席できたらしいのですが、私は間が悪く、修行に入って本当に間も無くのタイミングで卒業式だったものですから。卒業式にあまり興味がなかったというのもありますが、師匠がそんなことは全然念頭になく送り出してくれたというのもありますね。

卒業式に先立って、同窓会が主催の卒業予定者を集めたパーティみたいのがあったんです。何をしていたのか、食事が提供されたのかすら覚えていないのですが、そこで同じ總持寺に行く同級生を見つけて、一緒に頑張ろうなとお互いに話したのですが、実際に修行に入ったら全員頭ツルツルで全然人の見分けがつかなかったんです。あの時話したのが誰だったのか判明するまでにだいぶかかったんですよ。

気づいていないのは私だけだったかもしれませんけど。一緒に修行していても、自由に会話をする時間というのはほとんどなかったですからねぇ。特に私は修行期間が短いので。

口頭試問という言葉を久しぶりに目にしたので調べてみたら、今はスーツを着ていくのが無難とか言われているんですね(学校次第ではあるらしいが、分からなければスーツを着ていけば無難、という表現)。就活もしていないので、当然スーツも持っていない当時の私は、何の迷いもなく普段着で出かけたのを覚えています。大学にスーツで行ったのなんて入学式だけ。それも兄の成人式のスーツを借りて。そのためにわざわざスーツを買うような世界ではなかった、と思う。

服装で落ちるような類のものではありませんしね。服装に気を使うような状態で出来上がった卒論よりも、寝食を忘れて必死に取り組んだ卒論の方が好ましいでしょう。学府ですから。

懐かしいお顔の写真から、古い記憶を辿ることができました。直接話す機会なんてほとんどない先生でしたけど、講義を真剣に聞いたのはよく覚えています。学生を聞く気にさせる講義をしてくれた先生でした。

今後も接点が発生することは無いでしょうが、陰ながら応援しております。

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