書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

頭脳労働と肉体労働

月の頭から会計処理を少し。午前中にそれらを終わらせて、午後からは勉強タイム。土日忙しかったので、今日の午後からを休業、自分の時間に充てることにして、3DモデリングソフトのBlenderの勉強を再開しました。先週は1日しか出来なかった。今日は3時間ぐらいぶっ通しで取り組んで、やりたいことの半分を学ぶことができました。

練習問題をまだやれてなくて、残り半分はさらにその先にあるので、まだ少しかかるでしょうか。ネット上にあるフリー素材の人型キャラクターをアニメーションさせるのが目標なのです。それをゲーム作成プラットフォームのUnreal Engineに取り込んで、ゲームではないことをするのです。

今週中に必要な範囲の学習が終えられると良いのですが。開始から3週間経ってます。

夕方にはお通夜。終わって今は日記を書いてますが、その前にはnoteを書いてました。一応この辺りは仕事の範疇としてやってます。趣味でやっているのは「もばいる坊主」。仕事じゃないとなると更新頻度がキープできませんね…

ブログ界の巨匠「ネタフル」のコグレさんはネタフルに毎日10本以上の記事を上げて、さらには取材旅行をしたり登壇したりと、どれもそれなりに時間を取られる仕事をしています。どうやったらそんなに書けるのか。テキストを入力する速度ならさほど負けてないと思うのですが、1日10本も書く題材が見つけられません。

以前、もばいる坊主で1日3本というのに挑戦した時期があります。実は。その時にはジャンルも問わずとにかく何か書けそうな話題を捉えて書く、というようにしていたのですが、全然続きませんでした。

ニュースサイトの記事を取り上げで自分なりの意見を書く、というだけでも、なかなか難しいのです。自分なりの意見を持てるニュース、意外とないんですよね。愚痴なら沸くけど。

さて、今日のタイトルですが。今日のパソコンに向かっている時間は、頭脳労働と言えるでしょう。勉強タイムも頭脳を働かせているので、表現するなら頭脳労働と言えます。

肉体労働はお通夜。座って30分弱お経を読んで、5分10分の法話をしているだけで、何が肉体労働か、と思うかもしれませんが、意外や意外、肉体労働なのです。

まず、30分弱のお経を読むというのは、それだけで肉体をかなり使います。地味ですが、ずっと腹筋を使った腹式呼吸ですし、人前に出て一人舞台をしているという緊張感からくる全身の疲れもあります。歌手がライブで汗びっしょりになって歌うじゃないですか。ステージを動き回らないだけ体力は消耗しませんが、3〜5分で少し間を取れる歌と違い、お経は基本的に途切れずに読みます。せいぜい、司会者の焼香案内の間に止まるぐらい。喉と呼吸を休ませられないというのは、結構来るものがあります。そう言う意味では、葬儀の方が体は楽かも。ただ、儀式の重要性が桁違いで、重圧もすごくて、それこそ手が震えそうになりながらお勤めするんですけれど。(実際最初のうちは震えてた)

お通夜の後の法話の間も、参列者の顔と目と見ながら、こちらに意識を向いてもらえるように間を取ったり、表現を変えたり、はしょったり、余分に話したり。目の運動と頭の運動を同時にやっている感じ。

そして何より、私は人前に出るのが苦手で、人前で話すのも苦手。そんな人間がこれらを必死こいてやっているわけで、それだけでもう肉体労働と言えるでしょう。

人目に触れている時間以外にも、もちろん直接の準備もありますし、そこに向けて体調を調節していくことも必要です。体調のピークタイムがお通夜の時間になるように、一日の仕事量や食事の時間を調節したり。

プロならそれぐらいやるでしょう、というようなことをちゃんとやっているわけです。どうですか。すごいでしょう。苦手なことなのによくやっているなぁ、と思います。自分で、やると決めたというその一大事が、私を支える最大の屋台骨ですが、親が言うからお坊さんになったなんて人がそれなりになんとかやっているのを見ると、そういう屋台骨も無くよくがんばれているなと、かえって尊敬したりもします。

ま、でも、お経を読んでいる姿を見ただけじゃ、楽な仕事と思えるかもしれませんね。失敗しても会社が傾くわけでもなく、やり直しもできますし。でも、失敗は許されないんですよ。なんといっても、人が亡くなっているんですから。故人の人生の総仕上げの場に携わっているんです。生半可な気持ちでのお勤めは許されません。全身全霊をかけてのお勤めです。

最初からこのことだけ書いた方が、「思ったより大変かも」と理解してもらえたかもしれませんね。すいません。でも、せっかくたくさん書いたので、再構成はしません。

大変ですけれど、遺族に寄り添っていられる、そして頼ってもらえるというのは、やりがいがあります。私が大好きなお檀家さんの最後のシーンを、少しでも良いものに。そしてそれをきっかけに、仏教の素敵な部分に気づいてもらえるように、これからも頑張って参ります。

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