書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

出張からの帰還

昨夜22時半頃、坂東出張から帰還しました。今回下見した札所はかなり見どころが多く、募集チラシをしっかり作れば興味を持ってもらえそうです。

ただ、問題は、コロナだ。

重症者数はそんなに増えていないようですし、死亡された方の人数も、地方部ではほとんど出ていないことを考えると、そろそろ正しく恐れることが板についてきたのかな、という感はあります。

感染予防と拡大予防をしっかりして。体調が悪い時に感染したら重症化リスクが高まるので、極力外出しない。従来の風邪でもこじらせて亡くなる方が少なくなかったことを考えれば、今とっている対策が限界値ではなかろうか、と。そもそも一個人にできることには限界がありますから。

私もTwitter上で、そもそもコロナは風邪と同じで今の状況は異常だと認識している方にリプライをいただいたことがあるので、世の中の平均から見ればコロナ脳と呼ばれている方達の方に近い立場を取っているかもしれません。

私が接するのは高齢の方が多いですから、自然と慎重な対応になるわけで、これでコロナ脳と言われても困るわけですれど、まあしょうがない。Twitter上でそんなバックグラウンドまで見てくれる人は少数派でしょう。

無症状と分類される方も多いですが、一方で味覚臭覚に異常を感じるなどの症状の方もそれなりにいて、短くとも数ヶ月単位で後遺症に苦しめられる聞くと、うつりたくはないですよね。軽症も範囲が広く、39度の熱が10日続いても、肺炎にならなければ軽症ですから。一人暮らしだったら死にかねない。家族がいる環境で自宅療養になったら、家族の負担も相当のものなりますし、そもそも仕事や学業に支障が非常に大きい。

そんなものを広める元にはなりたくないですから、拡大予防をするし、そもそも感染しないために感染予防もする。そんな当たり前の感覚でマスクをつけ、消毒をしているだけだし、呼びかけをしているわけです。

インフルエンザでも風邪でも人は死ぬよと言われても、そちらも同じように予防をするのは当たり前で。つまりは同じように対応しているだけですよね。死にたくないし、死なせたくない。難しい議論が必要な話題ではありません。

でもそんなふうにして、ウィルスとの戦い以外にも色々と発生する世の中で、今、旅行に行きましょうと誘っても、なかなか乗り気になってくれる人は少なそうです。

でも、西国の巡礼を終え、坂東に取り掛かり、数年後には秩父にも取り組み、夢の百観音までの道筋が見えて喜んでいる方もいるわけで、私としては実現の方向へ進んでいくしかありません。それでもし、人数が集まらなければ、また時期を改めてお誘いをするまで。参加者の年齢を考えると焦る気持ちもありますが。

西国を巡礼している間も、3年がかりでしたから、巡礼仲間が病気になったり急逝するなどして、順調に見えて波乱もありました。坂東の巡礼を始めて、観光地としての魅力が西国と比べるとどうしても敵わない中、巡礼に対する想いだけで参加者のモチベーションを維持することの難しさを感じていたところに、新型コロナの大流行。

21世紀になって四半世紀が過ぎようとしているのに、新しいウィルスに対して人間も社会もこんなにも脆弱だったのかと見せつけられています。こんな時に心の支えになるはずの巡礼すらも行えないというのは、想定すらしていませんでした。

その状況に合わせた信仰の持ち方というのはもちろんあるわけで、それを推進していく立場に私はあります。でもまだ巡礼を諦める場面ではないかなと、考えています。これぐらいでは諦めませんよ、私は。

——————————

基本的に毎日書いてます。 何か共感できる内容がありましたら、ぜひSNSでシェアしてください。喜びます。
noteも毎日書いてます
Bloggerにブログも書いてます。こちらは数日置き更新。「もばいる坊主