明日葬儀、今日はお通夜。
よくよく考えたら我が家が本家になるんだなぁ。そんなことを初めて意識している、今回のお葬式。お檀家にもなるので、住職としての立ち位置もあるし、なかなか難しいポジショニングを迫られています。一人で勝手に。
世襲ではなく純粋に師弟関係だけで住職が続いていればこういう場面はなかったはずですが、今の時代にそれは求めようもありません。血縁の縛りがなければ後継者を失うお寺ばかりです。
コロナ禍の現在、参列者もかなり絞られていまして、今回は100%親戚だけ、という状況でした。これは、導師の精神力をものすごいスピードで削り取っていきます。
通夜の読経後には、葬儀について、法要の流れと意味合いが伝わるようにお話をします。コロナ禍で一時期中断していましたが、最近は再開しました。親戚の前で話をするのは普段以上に辛いものですが、だからといってやらないわけにはいきません。
ここで話をしないとどうなるかというと、以降の親戚の葬儀でも話が出来なくなります。あのときと違った、ということになってしまいます。もっと私が若い頃であれば、やっとみんなの前で話す準備が整った、とでも言い訳できますが、もうそこまで若くはありません。
そしてなにより、そんなことを続けていたら、住職の親戚が、周囲で一番、お葬式の中身について分かっていない人たちになってしまいます。それは良くない。住職の代わりに必要性を周囲に説いてくれるぐらいでないと。
葬儀をしないことによる後々の遺族への精神的ダメージは無視できません。平気な人もいるでしょう。でも、結果として平気ではなかった、という人もいるのです。ダメージを受けて回復させるより、そもそもダメージを受けないようにする方が簡単ですからね。葬儀に関しては、それなりに整った形の葬儀をすればいいだけなんです。
そんな思いもあって、雨に引っ張られて駄々下がりの意気をなんとか復活させて、普段よりも「え〜、」が多いお話をいたしました。頭の中が白くなりながらで、普段話している内容だからなんとか最後までたどり着いたという体たらくでしたが、それでもやるだけのことはやれたと思います。
これからこういう場面が増えるかもしれません。順番ですから仕方ありませんが、ただ、他のお檀家さんにも言えることですが、あまり皆さん、急がないで、ゆっくりと、お願いしますと思うばかりです。じゃないと私の心がいろんな面で維持できないです。
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