書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ちょっとした手の傷が辛い

とうとう手を傷つけてしまいました。気をつけていたのに。段ボールで少し切ったのと、本堂掃除中に気がついたら皮がむけていたのと。

当然ながら私も手を洗う回数が増えています。今までは平気でじっくり洗えたのに、これからは痛みを堪えながら洗わなきゃならない。防水の絆創膏を買ってこようかな。買いに行くにも悩む状況になってしまいましたが、どこへ行っても人が多いからなぁ。湖西市は外出自粛要請は出ていないとはいえ、平常時と変化があるように感じません。

ここ数日、私もお祭り用の衛生用品を買い揃えにたびたび外出していますが、出かけるたびに気疲れします。一度で済ませたいのですけど、結局後から後からあれもこれもと揃えようとして、回数が増えてしまいました。戻ってくるたびに手を洗うものの、杏林堂ですら手指消毒液が来客用に置けていないのが辛い。あそこで一回消毒できれば気持ちも少し楽になるのに。

次亜塩素酸水スプレーは売っていたので何本か買ったのですが、お祭り用に確保したものなので、自分用に使うのを控えています。使った方がより安全に寄与できるとは思うものの、明日足りなくなったら困るという思考の方が強くて。大局に立った判断というのは難しいものです。

帰路、顔を触るのをずっと我慢するわけです。どんなに手にウィルスがついても、手から直接体の中には入りません。(傷からは入るのでしょうか…?)手を口に持って行ったり、鼻に持って行ったり、目に持って行ったり。直接でなくても近くにウィルスがつけば、呼吸で取り込んでしまうそうですよ。自分の手が、ウィルスを体に放り込んでいるわけです。

なので、顔をかきたくなったら上腕あたりで擦るんです。そこにウィルスがつくには、対面して喋ったり、近くで誰かのくしゃみを受けたり。くしゃみは難しくても、買い物ぐらいなら誰とも喋らずに切り抜けられます。杏林堂、セルフレジを間に合わせてくれてありがとう。

でもこうして色々気にしていると、見えないウィルスが見えるような気がして、そうすると誰もがウィルス保持者に見えてしまって。そうすると人と行き交うのが怖くなってしまって。自分だって相手からそう見えているはずなのに。自分が感染していない確信なんか、もう持てないですからね。

手を洗うのは、自分で設置できる数少ない砦です。傷が傷もうが、手を洗わないという選択はありません。んー、でも、痛いんですよね。隅から隅まで洗わなきゃ意味がないから、手の皮がむけてるところだってよけられません。やっぱ防水絆創膏…今日も買い足しに行ったのに、絆創膏買ってくるの忘れた…

これから防水絆創膏が品薄になったりするのかなぁ。勘弁して欲しいなぁ。