書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ピアノ発表会の思い出

子どもたちのピアノ発表会がありました。私が子どもの頃に習っていたこともあって、ピアノについては習いたいと子どもが言えば習わせています。なんだかんだ全員習うことになって、中学に入って長女は辞めましたが、次女と長男はまだ小学生なので続いています。

そして年に一度の発表会が行われました。2年続けて曲が途中で止まってしまっていた次女は、今年は完璧。本人は一箇所隣の鍵盤も一緒に押しちゃったと言っていましたが、先生も気づかないほどの小さなミスでした。ほぼ毎日耳にしていた私でも、譜面通りなのかミスなのか自信が持てなかったぐらい。撮ったビデオを見直しても分からないんですから、十分です。非常に運指の大変な曲でしたが、それをこなしながら感情も込められて、聞いていて気持ちの良い仕上がりでした。

長男は実は意外に飲み込みが早くて上達して行っているんですが、練習時間が短め。ちょっと弾けるとすぐに自分にOKを出して切り上げてしまいます。その分が本番で出たのか、一番良いところでちょっとミス。もったいなかった。練習しないからー、と私はもとより妻や次女からも散々言われる結果となりました。そこまでの一連の流れまで含めて長男らしく、微笑ましいですが。本人には少し感じるところがあって欲しいものです。

私自身の発表会の思い出の一番のトピックは、「ぼくドラえもん」を弾いた時のこと。自分で言うのもなんですが、かなり上手に弾けていたんです。舞台袖では出番を待つ子たちがピアノに合わせて歌っていたらしいのですが、そこで痛恨のミスを犯しました。どこを弾いているのか分からなくなったんです。ソロで弾くときは暗譜するのが通例で、頼るものは己の記憶のみ。どこか分からなくなったら覚えているところから弾き直すしかありません。

弾いている本人はそれで最後まで弾き切ってホッとしたのですが、舞台袖で歌っていた子たちは突然曲が迷子になって、残念な感じになっていたようです。発表会の後、その話を聞かされて、自分の失敗が恥ずかしいのと、歌っていてくれた子たちに申し訳ないのとで、いまだにその時のなんとも言えない気持ちが心に残っています。

嫌な記憶では無いのが救いですね。一緒に歌ってくれるほど、上手に弾けていたわけです。途中までは。それは自信につながります。練習もあの頃はずいぶんしていて、まさか弾いているところが分からなくなるなんて、想像もしませんでした。あー、もしかして、記憶力に不安を覚えるようになったのは、あれがきっかけだったのかも。今はお経を読むのにも、毎回お経本を開いて読んでいます。万が一にもお経が迷子になっては大変ですから。一人で読んでいる時ならまだしも、法事の際にはお経本を配って一緒に読んでもらいますから、私が迷子になるのは大問題です。

長女と次女は、あの頃の私よりもすでに上手になっています。練習時間も忙しい毎日の中で頑張って確保しています。感心します。いつかどこかで、ピアノを習ったことが役に立ってくれると良いなぁ。