書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お金に困るとお金のことばかり考えるようになる

ということを身をもって実感している今日この頃。朝晩の冷えが冬の日中を思わせるようになってきましたが、皆さん変わらずお過ごしでしょうか。

私は初七日法要の最中にのどがはりついたようになって、それ以降とても喉が荒れています。下手したら治りきっていない風邪が再発かもしれません。明日は娘のピアノ発表会。咳をしながら聞くことにならないと良いのですが。

さて、最近、真剣にお金に困っている正太寺です。湖西市の中では大きなお寺になると思うのですが、それ故に布施収入以外はほぼ無く、詰まるところお葬式の件数によって収入事情が大きく左右されることになります。今下振れしっぱなし。でもお檀家さんがお元気だと言うことでそれはとてもうれしい。いつか別れを迎える世の中にあって、いつまでも変わらずお会いしてお話が出来るなんて、こんなうれしいことはありません。

ただまあ、困っている物は困っているわけで。そうすると、お金のことばかり考えるようになるんですね。金銭面で正太寺が危機に陥るのは初めてではありません。先代の時にも何度もあったそうです。ただ、私の代になっては初めてのこと。初めての危機に、冷静でいるようで、頭はいつもそのことを考えてしまっています。

お寺にお金が無くなれば給料ももらえなくなります。簡単な理屈です。貯蓄を食い潰せばしばらくは生活できますが、貯蓄の全額が子どもたちの将来の学費として貯めてきたものです。それがなくなることが何を意味するか。親としてこれほど辛いことはありません。

こういうことがあるから僧侶は結婚しない方が良いんですよ。本来は。お金が無くても自分が生きていくだけならよっぽどなんとでもなります。食べるものさえ檀家さんに工面してもらえれば、何も問題ありません。まだまだ農家の方も多いです。正太寺ならば、その辺りは心配ありません。

どこかから弟子を取らなくてはならないという現代で最大に難しい問題さえ無ければ、僧侶が家族を持つことには大きなデメリットがありすぎるんです。

私にとっては、いまさらどうこうなっても手遅れですけれど。

で、です。もし政治家がお金に困っているようだと、お金を工面してくれる人の意見を簡単に聞いてしまうだろうなぁ、と思うわけです。こんなに心が落ち着かないところに、お金はなんとかしてくれる、意見自体も良い意見で自分の方針とも合致する。そんなことがあれば断る理由なんて無いですよね。それがいつのまにか自分の方針とずれていても意見を聞かざるを得ない事態になるかもしれない。そういうことが無いように、政治家は、なるべくお金と切り離さなくちゃなりません。

お風呂に入りながらそんな事を考えていたんです。まだまだ続きますよ。

政治家とお金を切り離す一番の方法は、たくさんお金を与えることです。お金に困らない状況を作ることです。自分の政治信条にのみ基づいて政治活動をしている限り、潤沢な収入が保証されているとすれば、わざわざ他から収入得る必要がなくなります。つけいる隙が無くなるんです。

良い例として挙げるのに若干の躊躇がありますが、アメリカのトランプ大統領が分かりやすいです。彼は大富豪です。お金に困ることなんか死ぬまでにも、おそらく子どもたちの代においても安泰でしょう。それぐらいの資産があります。だから、あれだけ自分の思うままに立ち居振る舞えるんだと思います。パトロンが付いていたらそこを無視はできません。公には関係ないと言いつつも、パトロンの動向を気にしてしまうことはあるでしょう。

でも、自身に潤沢な資金があれば、誰のご機嫌も伺う必要は無いのです。

その結果が現在のアメリカですので、それが正解か不正解かやや疑問はありますが、政敵を倒すための黒い噂は絶えないものの、お金のまつわる噂は一切出てこないのが面白いと思ってみています。

日本の場合は不可解な政策が出てくるとすぐに利権があるんじゃ無いかとか、どこかに潤う人がいるんじゃ無いかとか話が出ます。でもそれも、政治家がみんなお金を持て余すほど持っていたら、

あっ。持て余すほど持っていても欲しい人は欲しいですよね。いくら保証があると言っても、それを上回る収入が見込めるとなったら、間違いを犯す人が出る可能性はつぶせませんね。うーん。

それでも、一般的には外部のお金に左右されにくい政治になると思うんですよ。

あくまで思うだけであって、専門に研究している人がいたら笑われるかもしれませんが。

でも、国会議員になったら一生持て余すぐらいの収入が得られるとなったら、当選を目指す人が増えますよね。競争率が上がって議員の質は確実に向上しますよ。問題は、日本の財政でそれが可能かという点だけで。そこはもう、まずはみんなで儲けて税収をあげるしかありません。お寺のように清貧な暮らしの人ばかりでは困るんです。

そんな事をつらつら考える入浴タイム。お風呂出てから思ったのは、お金に困るとろくな考えが出てこないな、というものでした。お金怖いですね。