書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

日傘の意味がなくなる気候

日傘男子歴数年に及ぶワタクシですが、今日のお墓経ではその日傘の意味が感じられないほどの暑さでした。

ちょうど木陰になっていて、おお!これは涼しそうだ!と思いきや、お墓の正面は日向でした。ですので、お経の間にお参りをするお檀家さんたちも日向でお参り。私はお参りの邪魔にならないように少し横にずれて読経するのですが、そこも日向。幸いお檀家さんが並んでいるところは日陰になっていました。私が倒れるのは自分の責任で済ませられますが、お檀家さんが倒れてしまうとそういうわけにはいかなくなります。全力で我が身を守っていただくようお願いいたします。

今使っている日傘は、古い記憶を辿れば晴雨兼用だったと思うんです。日傘に重きを置いているものの、雨の日にも使えますよ、というタイプ。でもその分、日を避ける機能は少し弱めなのかもしれません。

車のサンシェードでも、銀色で光を跳ね返すものと、そうでないものとありますよね。銀色の物の方がより太陽光を遮ってくれるようです。日傘もそういうタイプに変えるべきなのかもしれません。あー、でも、現状では女性用という捉えられ方がまだまだ主流だと思うので、銀色のテカテカ日傘は存在しない可能性もありますね。どうせなら業務用としてがっつり身を守ってくれる日傘が欲しいです。

どうして日傘の意味が感じられなかったかというと、日傘があっという間に、例えるならば一瞬で、太陽の光によって熱せられてしまい、暑い物体を頭の上にかざしている状態だったのです。傘の下に日陰はできても、暑いことには変わりがありませんでした。直射日光を浴びるよりは良かったとは思います。午後から寝込むのは1時間ぐらいで済みましたから。

法事のたびに寝込んでいては困ります。明日はお昼ご飯もご一緒させていただく予定となっています。お昼を食べに行った先で寝込んでしまったら迷惑をかけてしまいます。それは避けなければなりません。

新しい日傘も含めて、対策を考えないといけませんね。日傘さえあれば大丈夫だと思っていたのになぁ。