実は昨日は夕方に枕経へ行っていました。車で一時間半ほど離れたところにお住いのお檀家さんのもとへ。亡くなられたおばあさんのことは私は何も知らないのですが、年に一度はお寺までお参りに見えていたそうなので、おそらくお会いしたこともあったのだと思います。
その瞬間を思い出すことはかないませんが、記憶をたどると、あの方かも、この方かも、というシーンはいくつか浮かんできます。でも、人柄まではわからず。
おとといの夜に連絡を受け、そのまま葬儀の準備の行って、必要なものはほぼ整いました。昨日の枕経では葬儀の地域差というものの一端を垣間見ることになりましたが、それ以外は順調。
ただ、連合宗務所会のために葬儀日程を少し延ばしていただいたために、まだご葬儀をお勤めできないのが申し訳ないです。当番宗務所でなければ欠席すればよかったので、日程の調整も不要だったのですが…
そんな感情からスパッと気持ちを切り替えて、暮れどきの当初にって最終日をお勤めしてきました。こちらも順調に終了。あとは予備日を残すのみです。
今年もたくさんおしゃべりに付き合っていただきました。私の中では、お経も大事ですが、おしゃべりもとても大事なことと位置付けています。お檀家さんと、お互いに気を遣わずにおしゃべりのできる関係を目指しています。そこからさらに、何か困ったことがあったら、とにもかくにも正太寺に相談してみようと思ってもらえるようになることも目指しています。
少しでも多くの知識を得て、パソコンの購入相談でもなんでも受けられる和尚を目指しています。
古来より、お寺は最新の知識の集まる場所でした。それが今ではなぜか古いものを守るのが役割のような時代になっています。
それじゃだめなんです。古いものでよければ、道元禅師が中国へ渡る必要もなかったんです。そこのところを忘れずに、おときをきっかけにして、お檀家さんとの関係をどんどん向上していこうと取り組んでいます。
話の長い和尚だと思われすぎてもいけませんが…そこはちょっと心配。