書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

葬儀の現代語化

先日の訃報を受けての葬儀が、いよいよ本日となりました。最近はお通夜の読経後に、葬儀についてのお話をさせてもらっています。ですから、以前よりは葬儀についてある程度見所がわかって参列してもらえているのでは、という期待はありますが、手応えは今の所ありません。

もはや現代語による葬儀の進行は避けられないことなのかな、と思います。そもそも内容がわからないまま今まで続けてきたことに無理があったとは思うのですが、私自身、現状の方法の方が、言葉に重みがあり、それが儀式としての重みにつながっていると考えてきました。その分、事前事後に解説をすることでカバーをしようと。

しかし、葬儀の場にしかいない一般の会葬者には、葬儀の意義を伝えることができません。これを解決するには、現代語による、聞いているだけで理解できる葬儀をするしかないなと、現在は考えています。もちろん、儀式の荘厳さを欠いてはなりませんから、現代語化するのは難儀なことだと思います。手元にはすでに現代語化された経本もあるのですが、これだとまだ不満です。これを参考にして、納得のいくものを作れたらいいなと思っています。

ところで、そうして現代語化したもので葬儀をすることに、宗門としては何か制限を設けているのかな。そこまで話を進めた人が周りにいないので、こういうところも話題にならないんですよ。

そんなことを思いながら、思い入れのある方の葬儀を務め終わりました。寂しいです。