書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

賑やかな法事から思いが広がる

最近は、法事の参列者数が少ないことが多いです。私が副住職になった頃は、20人以上の法事が普通だったのですが、ここ数年は10人以下というケースが、半分以上のように思えます。

三回忌まではなるべく人を呼んで、という雰囲気があったのに、今では一周忌まで頑張って、三回忌は家族だけで、という声をよく聞くようになりました。

葬儀、四十九日、百ヶ日、初盆、一周忌と続きますから、さらに一年後に三回忌を、となると、なんとか人を寄せたいと考えている方にとっても、なかなかにしんどいことだというのは、よく分かります。正太寺でも、三回忌は家族だけでお勤めすれば良いですよと、アドバイスするようになりました。

それぞれに意味のあるお勤めとはいえ、どうしてもお金がかかります。関連業者さんにも申し訳ないですが、引き物をやめれば、頂いたご仏前がそのまま食事の振る舞いに回せるわけで、施主家の負担はぐっと減ります。

冗談交じりに檀家さんに話すことがありますが、実は本気で考えていることもありまして、法事をするなら黒字になるようにやりましょうよ、と。

お金が出て行くからしんどいのであって、1万円でも2万円でも、法事をやることでお金が増えるなら、ねぇ。

呼ばれて参列する側も、そういう気持ちで参列するように意識が変われば、黒字になることになんの引け目も感じる必要が無くなります。そもそも直径の親族にしてみれば、親族を代表して施主をしてもらっているわけで。

もちろん、それが分かっているから多めに出しているよという方もいらっしゃるとは思いますよ。その一方で、今回はご仏前はいいですから、とお断りをしている例も見かけます。きていただけて嬉しいら、と。それはそれで美しい気持ちの表れで、いい光景を見せて頂いたとあり難くなりますけれど。

そんな思いを抱いている中、今日の法事はなかなかでした。人数は少なかったのですが、会話が大変弾んでいまして、読経が始まる直前までお話が続き、自宅から移動してお寺でのお参りも終わって、さあ食事に移動しようというタイミングでもお話が弾んで動けなくなるという具合。

久しぶりに会って会話が弾んでいるんでしょうし、また久しぶりにあっても会話が弾むそのみなさんの繋がりの強さに、こちらはなんとなとホッとさせられまして。

親族が集まる機会として、法事というのは大変いい口実になると思います。法事を「口実」扱いとは、表現として大変問題がありますが、私の言いたいことはこれが一番伝わりやすいんじゃないかと思います。

「久しぶりに親戚で集まろうよ」と呼びかけても、いまどきみなさん何歳になられてもお忙しいですから、なかなか予定が決まらないと思います。それが、「法事をやるから来てください」と言われれば、なんとかして行かなくちゃ、となるでしょう。それぐらいの力はまだまだ法事にはあると思います。

親族を集めると、自分の子どもたちに、覚えさせることができます。そうでもしないと、自分の親戚が誰なのか、分からないです。困った時に頼りにしやすいのは親戚です。ワイドショーなどで親戚間での醜聞をことさらに取り上げるから、下手に親戚に頼るとトラブルの元だなんて思ってしまうかもしれませんが、そんなことないです。例外中の例外だから、ワイドショーで取り上げるんです。

長々書いてまいりました。法事の施主を勤めるにあたっては、大変なご苦労がおありかと思いますが、仏様のご供養がきっちりとできるという以外にも、効用がちゃんとあるお勤めですので、お寺と相談しながら頑張っていただきたいと思います。そしていずれは、法事=ちょっと黒字になる、というような形になるように、それぞれの立場で影響力を発揮していこうではありませんか。