書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

参列側に座るととても緊張して落ち着かない

親戚の法事に参列して来ました。

普段、自分は法要を執行する立場です。到着、法要開始、終了に至るまで、いろいろな条件を見ながらではありますが、最終的には自分のタイミングで状態を移していきます。

参列者になると、これが全くできません。当然です。菩提寺の和尚さんが、ご自分のタイミングで動いていかれます。参列者はそれに合わせるしかありません。

自分でタイミングをいじれないというのは、堅苦しいものです。

わかっているつもりであったけれど、久しぶりに違う立場になって、何度目かの実感を得ることができました。法事、参列している人にとっては、なかなか辛い!

こちらの菩提寺さんでは、今回は本堂の一部をお借りしての法事でした。椅子も用意してくださっていて、足も痛くならないし、現在の時流に合わせてくださっていて快適です。

かたや正太寺は、今もまだご自宅へ伺っての法事が中心です。どちらがいいというわけでもなくて、お檀家の多いお寺では、どうにも回らなくて自宅へ伺えないということもあるでしょう。実際に同安居のお寺がそうです。

ただ、ご自宅へ伺うと、お袈裟をつけたりするのも通常は仏間で行います。親戚も大勢来ていてるのに、和尚のために着替えの部屋が用意できるような大邸宅は見たことありません。衣を付け替えるだけですからそもそも不要ですし。

到着して、お仏壇に合掌礼拝し、塔婆を設置。全体を見ながら自分の座る場所を決め、そこで衣を変え、お袈裟をつける。これら一連の準備をしながら、すでに到着されている親戚の方々といろいろお話をします。天気の話、時事の話、いわゆる世間話。

この時間があるから、そんなに堅苦しくなく皆さんに過ごしていただけていると思っていましたが、もしかしたらそうではないのかもと今一度考えを新たにしなくてはならないと、今日の体験から考えさせられました。

法事を堅苦しくする必要は、必ずしも、ありません。茶化しちゃダメですけど、参列者個人個人が、自然な心持ちで仏様と向き合えることが何より大切です。

なかなか難しいですけれど、そういう法事が営めるように、精進を重ねなくてはなりませんね。