書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

そろそろ、そんな時期

入出の前自治会長にして、同級生の父親。先月から入院していると聞いていましたが、昨日、訃報が届きました。


一時は食事が出来るほどに回復したと聞いていたので、残念でなりません。


年は、師匠より3つ上。たった3つです。自治会長時代、師匠は副自治会長として共に入出のために尽くしていた仲です。その縁があって、今、自治会長を務めています。


同級生が喪主ではありますが、亡くなられた本人の同年会でお手伝いをするという事で、喪主の同年である我々は、ただ通夜に参列するだけでした。明日の葬儀は、宗務所で複数の約束があるので参列できません。


久しぶりに、大勢の参列者でした。現役自体は教職に就いていた事もあり、教え子の参列も多かったのでしょうか。奥様もまた縁者の多い方ですから、それもあるのでしょう。


葬儀に参列する人の数で、その人の人生の密度が測られると言います。それはたしかに、あると思います。今夜は、その密度の高さを、見せつけられました。


私が死んだときに、これほどの人が集まってくれるだろうかと。今のままでは、無理だろうなと、感じます。


私にとっては、同級生の父であり、近所のおじさんであり。ワードやエクセルの使い方を、何度かご教授した事もあります。


教職時代は生活指導も担当する厳しい先生だったようですが、私の目には、穏和、誠実、まじめと写ります。生徒に対する愛情としての、そして与えられた役務故の厳しさだったのでしょうね。


負けたくない人です。


師匠に対しては、不思議とそういう感情は抱きません。ただただ、師匠、と。その代わりに、負けたくない人が、何人かいます。


何を持って勝ち負けとするか、それは難しい問題ですが、でも、負けたくない。


今、負けたくない人を、1人失ってしまいました。これからは、残してくれたイメージと、張り合っていこうと思います。


ご冥福をお祈りいたします。


師匠より、たかだか3つ上。そろそろそんなことも少しは考えておかなくてはならなくなってきたかな。