書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

初めてのお宅へお経を読みに行く

お檀家さんではない方から、お経を挙げて欲しいと頼まれることは時々あります。今日伺ったお宅もそうしたお宅。とはいえ、もうずいぶん長い期間、お経に伺っています。


祥月命日のお経ですので、年に一度のこと。ずっと師匠が伺ってましたが、今年は後から入ってきた予定がどうにも動かせずに、私が初めて伺うことになりました。


浜松市内なので、距離はそこそこあります。お寺にある住宅地図は湖西市と旧新居町のもののみなので、詳細な場所は分かりません。それでも目印となる建物が分かりやすいので、たぶん大丈夫だろうと聞かされて、ちょっと不安を抱えながら出かけました。


片道1時間はかからないはずと言われたので、ゆとりを持って1時間前に出発。時間は晩方。なるべく混まずに且つ最短ルートになるように車を走らせるのですが、時間は刻々と過ぎていき、思ったよりも距離が進まない。初訪問で遅刻はまずいよ・・・とドキドキしながら運転してました。


結局、行程の半分を過ぎたあたりから急に目的地が近づいたように感じられるようになりました。結論としては、自分の中で感覚として持っていた距離感と、実際の距離感がだいぶずれていた、ということでしょう。約束の時間の15分ほど前に、無事に到着出来ました。


お経も無事に勤め終え、お茶を飲みながらしばし談笑させていただき、帰路につきました。直前まで住職が来ると思っていたでしょうに、副住職が来ても丁寧にお迎えいただき、とてもありがたかったです。それなりの年格好になってきた、というのもあるのかもしれませんけどね。


今年8月、いよいよ30歳代も後半に突入します。自分がこんなに年になるなんて想像もしていませんでしたが、誰にでも等しく時間は流れているのですから。気持ちは年齢よりも少し若く持ち続けたいと心がけていますが、行動は年相応の物にしないと周囲から怪訝な顔をされることでしょう。


怪訝な顔をされるのは悪いことではありません。今の時代に毎日托鉢をしていたら怪訝な顔をされかねませんが、それは大変に仏法に乗っ取った行いです。毎日托鉢、それこそ正しい行いです。ですから、怪訝な顔をされても、それが正しい行いであれば気にする必要はありません。


年相応の礼節を保った行動をしませんとね、ということです。今日は、たぶん、出来たと思います。たぶんね。