書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

研修会から帰ってきました

帰ってきたら娘が2人とも熱を出していました。上の娘はアデノウィルスがようやく治ったように思えた矢先の出来事。はぁあ〜。自分の体調は、だいぶ回復してきたのですが。


研修会一日目は、名古屋市中央卸売市場南部市場での見学と、部落解放同盟愛知県連合会書記次長 山崎鈴子氏の講演が主な内容でした。南部市場は牛や豚の解体をすると畜場を併設した市場です。平成19年にそれまでの高畑市場が移転してきて開設されました。ですのでまだ建物も真新しく、名古屋市のホームページ内にある南部市場のコンテンツを見ていただければ分かるように、設備も近代的設備そのものです。


見学したのは、解体する部分。私は見る順番が一番遅い班になってしまったため、牛の解体は見れず(すでに今日分の作業が終わってしまった)、豚の解体のみの見学となりました。と畜して真っ先に血抜きをするので、解体中もあまり血は見えません。作業している職員の作業服には血の跡が付いていることもありますが、予備知識無しで想像するような残酷なイメージではありません。また衛生管理のため、見学スペースと作業スペースは完全に分離されているため、臭いも伝わってきません。


しかし現実に、我々人間に食べられるために、牛や豚がこの場所で命を失い、解体され、その過程を経ることでようやく我々が口にすることが出来るのだと言うことを、忘れてはいけません。30年と少し前まで、解体現場の人間への差別はものすごかったそうです。市の施設であったのに、市の職員としては扱われず、どことの雇用契約もなく、それ故に社会保障の面でも不利を被っていました。休憩室も名ばかりで、約6坪の中に着替え室・食堂・包丁研ぎ場が詰め込まれていました。そして、男女の調理人(当時は調理人と呼ばれていた)26名で使っていました。休憩室だけで6坪あったとしても、とても休憩にはなりませんよね。部屋の環境自体も、劣悪な物だったそうです。


とても重要な仕事です。高畑市場の場合であれば、機能しなくなれば瞬く間に名古屋圏への食肉供給がストップするというほどの重要度です。それなのに、こうしたあまりに低待遇。


再三に渡り、話し合いでなんとか待遇改善をと望んだものの進展はなく、いよいよどうしようもないということでストライキを通告し、その段にいたってようやく、「移転した際には職員として採用する」ということになったそうです。またそれまでは使えなかったお風呂も整備することや、休憩室の環境改善なども約束されました。


移転した際には職員として採用するということは、その当時から移転の計画があったことになります。ストライキの通告をしたのは1976年のこと。そして、移転して南部市場が稼働したのが平成19年、つまり2007年のことです。この間31年。移転先周辺地域などと書面で合意出来たのは平成14年。それまででも26年かかっています。


これはなぜかといえば、そうした施設が自分の近くに来てもらっては困ると、多くの人が考えたからなのです。肉を一切食べない人がそう言うのならばともかく、日常的に摂取している人が平気でそう言うことを言うのです。それはなにも特別なことではなく、それが普通の人の普通の感覚だと言うことです。そしてまた、その施設で働く人たちもまた、4つ足の動物を殺す人たちということで差別されていました。自分の仕事を、自分の彼女や奥さんにも言えなかったそうです。朝、スーツをびしっと決めて出勤し、帰りもスーツに着替えて帰る人もいたそうです。それぐらい、厳しい差別にあっていました。


でもね。この施設がなければ、お肉を食べられないんですよ。そして、だれかがやらなければならない仕事なのですよ。4つ足の動物を殺すから差別するって言ったって、その差別している張本人が、彼らが解体した肉を食べているんですよ。どこに差別をする理由がありますか?


普通の考え方で普通に考えれば分かること。でも、それが「普通の考え」にならないのが、この人間社会なのです。悲しいことです。


今日、参加者が6つの班に分かれて分散会が行われました。その際に出た発言で、地元の養豚場を車で通過するときに、同情している子どもたちに、ここは臭いから窓を閉めてね、と言うことがあるが、それは「養豚場→臭い→嫌な所→嫌な所で働いている人→その人は嫌な人→嫌な人だから差別する」というイメージの連鎖を生みかねないという意見がありました。臭いから窓を閉めるという行為は当たり前の行為です。しかし、それが結果として、差別や偏見を生むことに繋がる、その可能性があるという、身近な例です。


臭いところだけど、そこで豚を育ててくれているから、いつでもお肉を食べられるんだよ、などとその場その場で逐一フォローをするのは大変ですが、どこかでそうしたことをしっかりと子どもたちにも教え、また机上の教育だけでなく、現地を見て、体への感覚として学ぶ必要があると思います。臭い所というイメージが、おかげでお肉が食べられるということに、ちゃんと意識が繋がるように。と畜・解体についても同じ事です。


南部市場の見学について書いているだけでこんなに長くなってしまったのでこの辺にしておきますが、この二日間、大変勉強になりました。今でも、と畜の仕事に対する差別・偏見は、完全にはなくなっていないと思います。そうした現状に、我々僧侶が果たすべき役割は、たくさんあるはずです。だって、しっかりと仏教を学んでいれば、差別なんて絶対にしないはずなのです。一人でも多くの人に、仏教を正しく伝えることが、まず一番に我々がなすべき事だと感じました。不幸な差別をこれ以上生み出さないために。