書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

話慣れた法話に新展開

最近、法事の際の法話がだいぶ固定化されてきて、そろそろ新作を考えないといけないなと構想を練り始めていたところだったのですが、当然そんな段階なので今日の法事には間に合いません。でも、話し予定だった法話の一部アレンジをお経を読みながら不意に思いつき、思い切ってぶっつけ本番で採用しました。

なんとかうまく話がまとまりました。あんまりお勧めの方法ではありませんが、思いついた直後というのは自分の気持ちにも勢いがあって、その勢いは聞いている方にも伝わると思います。お勧めはしませんが、うまくいったときはお互いに良い感じです。

ただ、気をつけないといけない点もあります。お話した内容を別の視点から考察した時に、なんらかの差別につながるような話になっていてはいけません。これは留意するべき点としては最低ラインのものです。ここをクリアしていないことはお話ししてはなりません。

今日のお話はおそらく大丈夫だったとは思います。後から追加で考察しても不備はなかったはず。

もうひとつ、これは全然関係なく頭に浮かんだことなのですが。

世の中を悪くするのは、世の中を悪くしようとする人、では無い。 誰かを悪く思う気持ちが、言葉が、回り回ってちょっとずつ世の中を悪くしている。 良い言葉を発しましょう。

というわけで。 世の中の仕組みは単純ではなく、誰かが陰謀を巡らせたところでそれがうまくいくはずなどありません。無数の事象が複雑に絡み合って次の一瞬を作り上げているんです。それこそ、あなたの吐く息の強弱ですらも、世の中の次の瞬間に影響を与えています。「与えているかも」ではなく、明確に「与えている」んです。

この辺りを膨らませて、もっと明確に仏教に結びつけて、「何言っているか分からない」状態を脱せられるようになったら、次の法話に採用したいと思います。