書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

合唱コンクールの思い出

娘の通う中学校で、合唱コンクールがありました。私が通っていた頃と違い、今では文化発表会の一部門という扱いになっていました。もしかしたら昔から…?違うと思ったけれど。

私の頃は一学年8クラスずつ、計24クラスありました。果たして全校生徒が体育館に集まって、全クラスの発表を聞いていたのだろうかという疑問がまず出ます。なんとなく、学年単位で開催していたような。それでも一学年2クラスの現在よりも時間を要していたことになります。一体どうやっていたんでしょうね。

合唱コンクールといえば、多くの生徒はパートに分かれて歌を歌います。クラスから二人だけ、特別な役を受け持ちます。一人は指揮者。一人はピアノ伴奏。今はクラス紹介も生徒が行っていますが、30年前はそもそもクラス紹介があっただろうかと。

もう30年前なのか…

2年生の時に、なんの因果かピアノ伴奏を担当することになりました。年長さんから6年生までピアノ教室に通っていたとはいえ、後半は練習もろくにしない不良生徒でしたから、急にピアノを弾けと言われても困ってしまいます。クラスで投票をして選んだんですが、なんで私の名前が候補者に上がったのかすら、今では思い出せません。

負けん気はそこそこ強かったので、必死になって練習しました。その甲斐あって、本番では大きなミスはせずに済みました。でも小さなミスはあったんです。練習でも上手く弾けたり弾けなかったりしていたところで、苦手ポイント。何度練習してもそういうところは出てくるんですよね。真面目に教室に通って練習していれば、そうした苦手ポイントも克服できていたのでしょうか。運指の練習は好きだったんですけれどねぇ。

8クラスもあると、同じ歌を歌うクラスが出てきます。そうした場合はピアノ伴奏者同士も張り合うことになります。私の時も1クラスと同じになって、しかもそのクラスのピアノ伴奏者は、私と同じ部活でした。吹奏楽部。私は自分が弾けるようになるので必死だったのですが、少し対抗意識を持たれて、煙たく思ったのを覚えています。

私の方が出番が後だったのか、弾き終えた後、勝利宣言されましたからねぇ。ちょっと悔しかった。だから今でも覚えているんでしょう。

卒業後は接点もなかったのですが、数年前に小学校のPTA会長をした時に、そのピアノ伴奏者は市内の他校で前年にPTA会長をしていて、なぜか市内各校のPTA会長、その年の会長と前年の会長が一緒に懇親会を開くことになって、少しだけ話す機会がありました。

もちろんピアノ伴奏の件は話しませんでしたが、現在の彼女の活躍ぶりを見るに、なるほど、変わっていないんだなと、妙に納得したものです。

あれから定期的にこの懇親会を開こうという話になったんですが、その後上手くLINEグループに入れなかったためか、それ以来お誘いがありません。どうなったのかな。もうだいぶ経っちゃったからな。同期のPTA会長には県議さんもいて楽しかったんですが。

そんな合唱コンクール。娘も無事に出番を終えました。2年連続のピアノ伴奏お疲れ様。人数少ないから多分来年もやることになるだろうけど、またがんばろう!父はビデオを持って駆けつけるよ!(煙たがられるパターン)