書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

ショップ店員という道だってあったはずなんだ

子どもたちの服を買うのにユニクロとGUへ。GUで子ども用のジーンズが990円で買えて感動。お安いですなぁ。でもその一方でいくら働いても稼ぎが少ない人がいるはずであって、素直に喜んでいいのか分からなくなります。技術の進歩で安く作れるというだけで、作っている人も儲かっているならいいのですが。

私の職業経験は、大学時代に焼肉屋さんでのアルバイトが3年あるだけです。卒業式前に修行に入り、そのまま副住職、住職ですから、社会を知らないとよく責められる裁判官や教師と同じような経歴です。

違うとすれば、そもそも僧侶になるのなんて社会からのはみ出しものであって、社会不適合者と言っても過言ではない、という思いでしょうか。出家ですからね。それが良いのか悪いのか、今の所世間知らずと言われることないですが、とはいえお寺の懐事情を話す機会があると一様に信じてもらえませんから、庶民とは違う暮らしをしていると思われている節はあります。

庭師さんへの支払いのために借金をすることが確実な状態なのですけれどもねぇ…師匠からなので取り立ての心配はないのですが、それだって二度はできないわけで(物理的に)、先行きは大変心配です。

この話を続けると大変重たい話になるので話題をずらしますと、洋服屋さんへ行くと当然そこには店員さんがいます。悩んでいるとスッと近づいてきて、相談に乗りながら服を勧めてくれます。さすがに全然似合っていないのに勧めもしないでしょうから、ある程度及第点なのだなと思えたら勧めに乗って買うわけです。

そんな店員さんに就職する道も、ないわけじゃなかったはずなんだよなぁ、なんてことをふと考えていました。お店の中をフラフラしながら。三男坊でありながら、中学生の頃には兄弟の中で跡取りと決まっていたようで、親からも高校は好きなことをしろと言われてその通りに工業高校へ進みました。もちろん流れのままに僧侶の道を歩んできたわけではなく、血反吐吐くような状況になっても檀家さんのための僧侶でいようという覚悟は決めて修行に行ったのですが、とはいえ、それまでに他の道を考えたことがないわけではありません。

そもそもお寺を世襲するということ自体がおかしな話で、そんなところへの疑問を乗り越える必要があったのでそりゃあ色々考えました。

そういう道の一つに、ショップ店員が、あってもおかしくなかったなぁ、というわけです。私が一番に考えていたのはゲーム作り。その次はパソコン雑誌の編集者。パソコンが好きでしたから、その関係で色々考えました。あの当時に東京に住んでいたら パソコン雑誌の編集部にアルバイトで入るぐらいは当然考えたでしょう。1994年に大学入学ですから、当時の雰囲気なら出来ない話でもない。

残念ながら東京ではなかったので、そういう縁はもしかしたらあったかもしれないけれど細い細い糸を手繰り寄せないと無理だったと思います。

働いた分だけ給料がもらえる。それはすごく幸せだよなぁと、つい羨ましく見てしまいます。住職も、目線は経営者と同じですからね。稼がないと給料がもらえません。そしてお寺に収入が入る機会は本当に少ない…

血反吐吐くような状況になっても檀家さんのための僧侶でいたい。それなのに、今の仕組みだと、檀家さんの誰かの葬儀をしないとお寺を維持できるほどの収入は入ってこない。血反吐だけじゃなくて内臓が出てきそうです。

別に、ショップ店員さんを楽な仕事だと思っているわけじゃないんです。勉強も欠かせないでしょうし、今の私には務まらないだろうなと思いますし。隣の芝が青く見えているだけなんですよ。ただそれでも、いろんな仕事の選択肢が、自分にもあったはずなんだなと、思い返してしまうんです。

そんな心境の最近です。