書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

道具の手入れ

道具というものは、手入れが欠かせません。お寺の法要に使う道具にしても、スポーツに使う道具にしても、キャンプに使う道具にしても。

昨日一昨日で活躍したスキレット、そして小さな鉄板一枚。どちらも鋳鉄製なので、放っておくと錆びてしまいます。そうしないためには、綺麗にして、油を塗って、と手がかかります。好きな人にはこの手入れの時間も楽しい時間なのでしょう。また、こういう手入れシーンというのは、映像にしたり、漫画で描いたりしても絵になります。誰しも皆、心の何処かに、手入れをするということに対しての憧れのようなものがあるのでは。

私はというと、やはり憧れはあります。何か余裕のようなものも感じますよね。ただ、私の場合はそんな境地には到底到達できておらず、とにかくひたすら焦げをこそげ落とし、油を塗るという一連の流れを順に追うだけで精一杯。はたから見ていても優雅さは微塵もなかったことでしょう。

きっと、表情でしょうね。どこかに楽しさがにじみ出ないと、絵にならない。嫌々やってる感じ。嫌々でもやっているのは大変素晴らしいですよ、自画自賛。焦げたらもっと大変ですから。

そんな具合に、どこの世界の道具の手入れもなかなか大変です。お寺の道具も、例えば燭台なんかはロウを取るのが非常に大変で、LEDロウソクに変えたことで一部の燭台の掃除を気にしなくて良くなったのはとても助かっています。でも、まだまだ燭台はたくさん使っています。手入れは引き続き必要です。キャンプ道具の手入れをしている絵になる大人に憧れるように、お寺の道具の手入れもきっと絵になる姿が作れるはずです。修行僧のそれとはまた少し違った絵が。精進しようと思います。