書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お祭りでした

入出の夏祭りでした。地区ごとにお神輿が出て、夜店が出て。というのが在りし日の姿。今ではお神輿も一基だけになり、夜店も有志ががんばって出店している状況。再び在りし日の盛り上がりを取り戻せそうな予感はどこにもありません。

それでも20代30代の若手が中心になって必死になってお祭りを守ってくれています。ただ、地元の神様のお祭りに頑張る若手に対して、地元からのサポートが弱いように感じます。秋祭りもそうですが、寄付も年々減っているような。増やしてくれるお宅は少ないです。みんなお祭りが衰退していくのを寂しく感じつつも、盛り上げる主役が自分たちであることを忘れているように思います。

お祭りを直接的に運営する若者たちは先鋒であって、後方支援がなければ野垂れ死にするだけです。

また、夏祭りについてのお宮さんの見解は聞いたことはありませんが、秋祭りの屋台引き回しについては、神事に対して余興であるという見解でした。人が楽しむ余興ではなくて、神様に楽しんでもらうための余興ということだと思います。秋祭りは今年の収穫の祝いと来年の豊作を祈っての神事だったと思いますから、神様にそっぽ向かれたら来年大変なことになるわけです。そのために余興までして楽しんでもらうんです。これが衰退していくということは、神様の加護を失っていくということですから、自然頼みの部分の多い農家や漁師にとっては死活問題のはず。実際浜名湖では不漁が続いてます。そういう苦しい時こそ、お祭りを賑やかにやって神様にお願いするのが自然な流れなのだと思うのですが、なぜだかそうはならない最近の社会情勢。

これはね、地域の運動会とかでも同じだと思うのです。高齢化、過疎化で縮小傾向にある地域がほとんどだと思います。でもそこで、無理矢理にでも賑やかくやることで、地域が盛り上がるんです。地域の運動会のために帰省する様になったらしめたものですよ。それぐらいを目指して盛り上げないと。縮小するのは簡単なんですよ。やめるのも簡単なんですよ。ただ、そうした衰退する雰囲気はそのほかのことにもすぐに伝播します。それはよくないことの始まりです。

お金をかける必要はありません。なるべく多くの人が関わって、出来るだけ盛り上がる様に頭を捻る。そこが大事です。その中で発生する無駄に思える人付き合い。それが大事なんです。盛り上げようという気持ちもまた、伝播します。伝染すると言ってもいいでしょう。盛り上げようという人がいっぱいいたら、盛り上がるに決まってるんです。地域の雰囲気も自然に盛り上がるんです。それがまた、地域経済にも必ず結びつきます。

隣にいる人と、この世の中を盛り上げようと気持ちを高める。それがいいことの始まりです。私も、つい冷めた視線で物事を見がちですが、盛り上げる気持ちをいつも前面に出していられるように心がけていきますよ。