書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

お墓まいりへ

妻の実家のお墓まいりへ。ちょうど本堂では法事が始まったところでしたが、個人的にさして気にもせずに位牌堂へ向けて通過していきます。本堂でのお賽銭の音が響き渡りますが、ご住職が次のお経の書いてある場所の説明に入られたところだったので、お経中よりは良いという判断のもと、皆一斉にお賽銭投入。

正太寺でお寺を使って法事をする際は、位牌堂を使います。ですのでお参りに来た方は位牌堂に大変入りづらい感じになってしまいますが、それでも入っていただいていいんですよ。お経を読んでいる最中でもお構いなしに。もちろんおしゃべりは必要最低限にお願いします。私は慣れもあってそんなに集中切れませんけれど、参列の皆さんはさすがに気になるでしょうから。

妻の実家の菩提寺では、ちゃんと水屋に屋根がついていますし、そこにはお線香とライターもある程度用意をしてくださっています。一時無くなった時があったのですが、今日は木製の引き出しタイプの小物入れに入っていました。以前は確かお菓子の箱のようなものの再利用でしたので、なんだか地位向上が図られたみたいな感じ。かっこいいです。

正太寺はもともとそこまでの気遣いがありません。今から用意しようにも、置いておく場所がすでに用意できません。水屋に屋根、ないです…

勇気を出してお寺の玄関まで訪ねてきてくだされば、すぐにお分けしますよ。今までもそうでしたし、これからもそうです。あ、でも、貸し出せるライターは普段お墓経に使っているもので、二個しかないので確実にご返却を…

貧乏ったい話で申し訳ないですが、そもそも裕福なお寺なんて極めて珍しいのです。お金にまみれてウハウハでお経読んでいるだけでいいんでしょ、なんてテレビを見ていると思うかもしれませんが、本当にそうならみなさん修行だってなんとか乗り越えてお坊さんになってるでしょう。私の視界の範囲内では、裕福な生活を目指してお坊さんになった人はいません。みんななんだかんだ言ってわかってるんですよ…

ちなみに、「坊主丸儲けなんて言った奴はどいつだー!」と叫んでいる、養子に入った和尚なら見たことあります。もっとも、彼の場合は妻となったそのお寺の娘さんを好きなったんだから後悔なんてしていません。楽しそうですよ。ただ、想像した台所事情とかけ離れていただけで。そんなもんです。

それでも大抵のお寺では、お檀家さんが和尚たちに良くしてくれるもんですから、明るい気持ちで日々の業務に取り組んでいます。兼業している和尚さんが、その兼業で得て給与をお寺の維持費や修繕費に充てたりするのも(生活スペース以外の部分ですよ)、お檀家さんたちの存在があるからです。みなさんがお金に苦労しながらも、お寺をなんとか盛り立てていこうとしてくださるから、和尚もそれに応えるのです。そして、和尚がそうした姿勢を見せるからこそ、お檀家さんもお寺を盛り立てようとしてくださるんだと思います。どちらが先でもなく、後でもなく。同時にその両輪が回っているから、お寺は維持されていくんです。

ま、でも、和尚がお寺の経営をしなくてはならないというのが、日本の仏教の一番の問題点なんですよねー。畑違いもいいとこです。経営に失敗する和尚が出るのは、ある意味では当たり前。

かくいう私も、お参りの用の線香の話からここまで話を広げるんですから、能力の活かしどころを間違えているように思います。どうしたらいいですかね、これ。