書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

半年に一度の観音懺法

お彼岸のお中日は恒例の観音懺法。今年の春彼岸は勝縁で名高い東雲寺(摩利支天)様を会場にてお勤めしました。サッカーのジュビロ磐田が必勝祈願に来たこともあるそうですけれど、最近はどうなんでしょう。なんにしても、一緒に観音懺法をお勤めするお寺さんの中では、一番有名なはずです。

しかし、お寺は有名でも裕福なワケではなく、むしろ伽藍の維持も大変な状況。いつ朽ちるとも分からない庫裡は解体し、現在は本堂と摩利支天堂、そしてトイレのみが存在しています。トイレを除けば庫裡以外も同様の状況であり、修復ないし建替が必要だとは思うのですが、檀家数もそう多いわけではないので二進も三進もいかないようです。

今回は庫裡がなくなって初めての観音懺法。控え室が庫裡に求められなくなってしまったので、失礼ながら摩利支天堂が控え室となりました。あるものはなんでも使うのです。私は初めて入る機会を得て、ちょっと嬉しかったですけれど。

メンバーも若くなりました。師匠は東堂職、つまりは隠居した身であるということで、昨年から随喜しなくなりました。私もメンバーの中では中間の年齢となり、目立つ役を勤めざるを得なくなりました。初めて挑戦する配役でしたけれど、まあなんとかなっていたのではないでしょうか。

声明の多い法要ですが、最近は声明の代わりに和文を読む箇所を増やしています。少しでも参列者に意味が伝わるようにという思いからです。声明でうっとりさせられるぐらいの技量があれば良いのかもしれませんが、我々の技量ではとても及ばず、よく分からない、歌のようなお経のような不思議なものを聞かされる参列者も大変だったことでしょう。

和文とはいえ古めかしい言葉なので、聞いてスッと意味が理解できるというものでもありませんが、今までよりは認識できる単語が増えているはずで、継続することで何かいい結果に結びついてくれるといいなと願っています。

ただ、和文はお教本の後半にまとめて掲載されています。漢文のページと行ったり来たりしながら法要を進めていくことになるのですが、流石にぺらぺらが大変。PDF化してタブレットで見れるようにしたい気持ちがふつふつと湧いてきます。私一人が本番でタブレットを使うと浮いてしまいますが、全員が使えばしっくりきちゃうんじゃないでしょうか。提案してみようかなぁ。