書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

命を救う仕事に就きたかった

法事の後席にて。

原因は分かりませんが、食事中にご高齢の方が倒れるという事態が発生しました。ご親戚としてその場に現役の看護師さんが2人もいらして、的確な処置、救急車の要請と滞りなく。

でも、こういう場で何も出来無いことに、無力感を感じます。子どもの頃、将来の夢と言うほどはっきりとした形でやりたい仕事を持っている時期はありませんでした。ゲーム作る会社に入れば、ゲームたくさん出来るかな、とか。パソコンの雑誌を作る会社に入ればパソコンたくさん触れるかな、とか。そんな程度の考えしか持っていませんでした。

高校生や大学生になった頃に初めて、人の命を救える仕事に就きたいと考えたことがあります。その頃には正太寺住職の後継者になるということは第1課題として存在していたのですが、それが無ければ何をしたいか、と言うような、夢とも目標とも言えない、本気度の感じられない、言うなれば空想のようなものです。

消防士、医師。その頃の知識で思いついたのはそれぐらい。消防士は体力的に現状ではとても無理とは理解していました。鍛えたところで間に合うかな、身長足りるかな、とかそんな次元。医師は大学生になってから思ったのかな。間に合わない。その頃は卒業後に本山へ修行へ上がることが頭の中の大半を占めていたはずなので、本気で医師を目指すにしても、そこから逃げているだけともなりかねない。そんな具合に出来もしない目標をそっと消し去っただけかも知れない。

いずれにしても、具体的に何か動いたと言うことは一切無い、ただただ漠然とした思いではあったのですが、死後を見送るより、死なないように手助けが出来たらという思いは、ずっとありました。まあでも、誰でもそうですよね。目の前に死にそうな人がいたら、助けたいと思うじゃないですか。それですよ。

結局、その事について何も身につけることもなく、今に至り、やはり目の前で倒れる人が出ても何も出来ずに相変わらず無力感だけを味わい続けています。消防団の時に救命講習は受けたので、それを忘れないようにして、出来れば定期的に再受講して、そうした場面に出くわしたなら、周りの人と協力して、出来る限りのことをしようと常々考えています。

救急車呼んで!と言われたら、すぐに返事をして電話をかける。それだけでもしっかり確実に出来るように、心がけておこうと思っています。

尚、その方は後日、元気になったよと知らせをいただきました。本当に良かった。