書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

突然秋の空気

あれほど悩まされた暑さが突然消え去り、急に秋の空気がやってきました。たしかに立秋は過ぎましたが、これはいきなりすぎやしませんか。お彼岸を過ぎてもどうせ暑いんだろうと構えていたのに。来週は川遊びの予定があるのに。

のに がつくと愚痴がでる

相田みつおさんの詩の一節でしたか。そう。「のに」は危険です。だいたい、気候のことに文句を言っても始まりません。それどころか、その変化に並々ならぬ影響を与えているはずの人類の一員なのですから、地球からしても文句を言われる筋合いはない、といったところでしょう。

長男のなかなか片付かなかった宿題も、ようやく終わったようです。最後まで残ったのは家庭の日の絵。何を書いて良いかよく分かりません。夏休みの思い出の中からひときわ印象に残った瞬間を書けば良いのかなとも思いますが、それでも絵というのは難しい。小学二年生に1人でかけと言っても無理な話で、親がだいぶ手を入れることになります。入れすぎてもいけないだろうし、手伝わなきゃ書けないし。主催者が募集するのは良いですけれど、なぜ宿題に含めるのか、学校の言い分を聞きたい。

たしか四年生になると、必ずやらなきゃならい宿題から絵が外れるんですよ。あと1年がんばれば。

こうして絵が苦手になっていくんじゃないのかなと、心配になります。絵ってもっと楽しい物のはずなのに。テーマがないと書きづらいものでもありますが、宿題で書いて楽しいものでもありません。もっと楽しんで取り組める動機付け、出来ないものでしょうか。そこは家庭に任せると言うことなのかもしれませんが、いやいや、だったら学校の提示した宿題に取り組むかどうかも家庭に任せてください。私なら一切やらせず、他のことに取り組ませますから。

中学の宿題もやたら多いです。毎日休まず取り組んでいる娘が、未だに終わらせられません。せっかくの長期休暇なのに、主体的に取り組みたいことにはほぼなにも挑戦できていません。そこまでして宿題をやらせる必要があるのかと、疑問です。

何にも無しでも良いぐらいなのに。毎日の宿題だって私は反対派でして、復習をさせるぐらいだったら予習の癖をつけさせて欲しい。理科の授業で予習はしないように言われたという話も聞きました。たぶん好奇心を失わせないための配慮だと思うのですが、本当に興味があったら教科書を受け取った日に全部読みますよ。そういうものでしょ。

予習した上で尚分からないことを授業で確認する。その手順を踏むことでどれだけ効率よく学べることか。現状では部活をやって帰って来ると、宿題をやるだけで精一杯で、とても予習に手が回りません。授業直前の数分で良いから教科書に目を通すと良いよと教えていますが、実行には至っていないようです。先生がその有用性を教えてくれれば、絶対に従うはずなのに。

さて。「のに」が出ていないのに、愚痴ってみました。今日は平穏な心持ちで一日を過ごせましたので、ちょっと起伏を起こさないとバランスが悪い気がして。

長期休暇中に、宿題は一切出さないから、何か1つチャレンジをしてみなさい、っていうぐらいが面白いと思います。授業の延長の宿題、そんなものは学期中にやれば良いんです。もっと自由に使える時間を。うまく使えなくても、そこにはもったいなかったという後悔が残りますから、それは次のチャンスに対しての良い刺激となるはずです。

と、集中して取り組みたい気持ちの時に限って、学校の何かしらに邪魔をされ続けた過去を持つ、三児の父親が申しております。学校は大事ですよ。でも、学校の指示を無視しても許される期間が、あっても良いと思うんですよ。