書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

卒業式が近づいてきた

午前中法事一件。午後、お客さん一件。よくある一日です。お彼岸の入りでしたので、お参りは大変多かったです。皆さんお参りありがとうございます。

そんな日の私の頭の中は、卒業式の祝辞のことでだいぶ埋められています。原稿は作りましたが、まだ娘の点検を受けていません。このまま検閲なしで行こうと思っていますが、反応が怖いので自主的に発表することになりそうです。

インターネットに散見される例文をベースにしたオーソドックスな祝辞になるはずだったんですが、途中から思い入れが強くなりすぎて、果たしてこれを祝辞で読んで大丈夫かなと思い始めています。娘の点検よりも、校長先生にチェックしてもらいたいぐらい。もっとも、そこで懸念が示されたからといって、書き直すかといったらそれは絶対無くて、このまましゃべると思いますけど。

六年生の卒業式でもありますが、娘の卒業式でもあります。PTA会長としては六年生全体にお祝いメッセージを届けなくてはならないのですが、どうしても娘に何を伝えたいかが最優先になってしまうんですよね。そこのバランスは、一応調整しましたけれど。

私にとっての中学三年間は、楽しかったはずなんですが、思い出の中の色からすると、なんか黒っぽいんですよ。高校時代が黄色、大学時代が白、小学校は青かなぁ。他の時期が明るい色のイメージを持っているのに対して、中学だけ極端に暗いイメージなんです。原因は未だに分かりません。

ですから、きっと楽しかった部分以外に、辛かった部分もあったんだろうと思います。その辛い部分に卒業生がぶつかったときに、どうしたら前を向いて乗り越えていけるか。そこについてのメッセージが、主題の祝辞となりました。重いメッセージです。それをいかに軽く聞こえるようにするかには苦心をしましたよ。時間かかりました。

卒業式の祝辞なんて、終わる頃には忘れてると思います。話す方も分かってるんです。でも、それでも、何かの瞬間に思い出してもらえたらと思っています。当日どれだけスムーズにお話しできるか分かりませんが、もう少し読む練習を繰り返して、なるべく万全にして臨みたいと思います。