書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

駿河療養所供養祭

お祭りという字が適当かというと、若干違和感を感ずるのですが、響きとしてはしっくりきます。仏事でも例祭とか例大祭とか言いますからね。

駿河療養所は国立のハンセン病患者を収容した療養所です。ほんの最近まで、苛烈な差別を受けていたハンセン病患者さんたち。曹洞宗もその差別に加担する説法をしていた過去があるため、その過ちを忘れないという考えもあり、ある時の東海管区内宗務所の人権主事さんが中心となり、駿河親睦会という、僧侶と患者さんの親睦会を立ち上げました。多分その初回から供養祭も執り行っているのだと思います。

昨年だったかな。長年の交流の甲斐もあり、患者さんたちから感謝状をいただいたそうです。東海管区駿河親睦会と名乗っていたものを、曹洞宗駿河親睦会と改めて、現在に至っています。

駿河親睦会設立当初より、地元である静岡県第一宗務所が中心となって供養祭を年に一度修行されていたのですが、前期宗務所より、静岡県内4つの宗務所が回り番で供養祭の当番を務めることになりました。今年は第四宗務所が当番にあたるため、教区長さんにも随喜していただこうという計画はずいぶん前からしていました。人権主事さんの発案で、宗務所の人権擁護推進委員会のメンバーと、寺族さんがたにも参加を促し、今回総勢28名で人権学習も兼ねて供養祭を修行いたしました。

人権学習の一環として、所長さんか自治会長さんにお話を聞かせていただく予定だったのですが、お二人とも体調不良ということで、室長さんにお話をしていただきました。あまり難しいことは話さず、自分の体験をお話ししてくださるスタイルで、これがとてもよかったです。

1980年代に公務員試験に合格して駿河療養所へ来たのですが、その当時でもハンセン病への差別は強かったそうです。当初は家族からも反対があったそうですし、同僚の中には親戚に内緒にしている方もいたそうです。中には親族と水杯を交わしてから来た方もいたそうで、療養所で働く職員への差別も強かったことが容易に想像できました。

当の室長さんは、同年代の方と同じく、ハンセン病の患者さんへ特別の差別意識もなかったそうです。強制収容された時代を知らなければそんなもんなんですよね。私も「らい予防法の廃止に関する法律」が話題になった頃に多少の知識を得たものの、あれほどまでの苛烈な差別があったというのは、宗務所職員として人権学習を進めていってようやく知ったのでした。

駿河療養所の中においても、患者さんと直接接する仕事と、接しない仕事が分けられていて、直接接する職員には手当がついたそうです。特効薬が発見され完治する病気となり、感染力も非常に弱いと判明してからも長く差別・偏見が続きました。特効薬が日本で最初に使用されたのは、昭和22年のようですよ。平成8年にようやく廃止されたらい予防法が成立したのは昭和28年(1953年)。その時点で既に、隔離をする必要のない病気であったのに、隔離規定がしっかり残っていたため、差別が助長されたと言われています。

世間に広まってしまった誤った情報を、正しい情報で書き換えることの難しさを感じるとともに、正しい情報を広める気が感じられない国の政策にも怒りを感じます。そして誤った情報を肯定する説法をした曹洞宗にも同じく。

この差別偏見は、いまだに残っています。療養所で亡くなられた患者さんの遺骨が、遺族に引き取られずに、そのまま療養所に残っているんです。身内にハンセン病患者がいたことを知られたくないから。つまり、遺族の周囲に、いまだにそうした差別が残っているということなのです。

引き取られずに、亡くなられてからも療養所を出ることが叶わずにいる方へ、せめてもの謝罪の気持ちも込めての、この供養祭です。この経緯を知っていたら、誰だって頭を垂れるしかありません。

多くの人の人生を奪った、日本史に残るべき一大事件です。二度と繰り返さないよう、物事を常に慎重に見る心がけ、それをより強く意識させられた日となりました。