書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

気がつけば日記が溜まってる

ここ数日、いや、週単位で日記が未記入となっていました。流石にこれ以上溜めるとしんどいので、今日はこれを優先的に取り組みました。

日記の更新を溜め込まないために思いついたことは色々と実験しているですが、最近はもう空き時間の有効活用ぐらいしか方策がなくなりました。そのために超小型のPCも買って、これがまたOfficeもフル機能が扱えるので緊急避難的なデバイスとして心の安穏に非常に役立ってくれているのですが、こと日記の更新については、そもそも空き時間がないという絶望的な状況でしたので、今こうして溜まった日記に取り組む現実に至っているわけです。

他にも取り組みたいことはいっぱいあるのですが、せっかくここまで長い期間続けてきた日記の更新を、止めてしまうのはいささか気が引けます。現在686週。4731日。たった一日の空きを埋めることが可能であれば、さらに千日ぐらいは足されるはずなんですが、流石に10年以上前の日の日記を今書いて埋めることはできません。そもそも覚えていないし。

その日になんで日記を書けなかったのかと、予定帳を開いてみるのですが、そこに書かれている予定を本当に自分がこなしていたのか尋ねられると自信を持って返事ができないほど、実感の得られない予定が並んでいます。本当にこんなことしていたかなと、不思議でならないんです。

20代半ばから電子手帳の類で予定管理をしてきました。そのデータはデバイスが変わってもしっかりと引き継いできましたので、今、私のiPhoneには過去17年間の予定がそのまま入っています。

一番古い予定が、2000年10月15日(日)の9時40分からの「いもほり」。

この頃は結婚前でして、当然子どももいませんから幼稚園行事というわけでもありません。9時40分というのもなんとも中途半端。この予定、かけらも記憶にありません。いったい私はどこで芋掘りをしたのでしょうか。

そんな具合で、思い出せない記憶がずらずらと続いているんです。怖い。怖いよ。

ちなみに、ここの日記の一番古いものは、2004年1月24日。タイトルは「日記移転しました」。

それ以前も毎日書いていたということか…

何やってんでしょうね、私。これだけの文字数を書けば、もっとまともな文章が書けるようになっていてもおかしくないんですが。もったいない時間の使い方をしているかもしれません。

ともかく、13年前の日記が簡単に見られるように残っていますよ。暇で仕方のない時には、私の13年間を、日記を通して追体験してはいかがでしょうか…