書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

住職の日常を書くというのもなかなか難しい

午前中にお役僧。午後から葬儀。これを日記に書こうとしても、あまり詳しくは書けません。喪主さんからしたら、どんな内容であれ、あまり書いて欲しくないことだと認識しています。

全く別の日に取り上げることはありますが、当日に書くと特定されやすいですからね。

そんなわけで、今日はあまり書ける話題がありません。頭痛がひどいことぐらいでしょうか。

頭痛の日々が続いています。どうにもスッキリしません。首回りが常に凝っているような感じなので、肩こりが原因かなとも思うのですが。先日は雪もあり、低気圧の影響も受けているんだと思いますけれど。この頭痛がなければ、私の生産性は5割り増しぐらいになると思います。非常にもったいない。

最終兵器であるSG顆粒も、いまいち効きが悪いです。なんでだろうか。

一番の原因は睡眠不足でしょうか。ここしばらく、4時間睡眠という日が多くなっています。さすがに眠いです。早寝して、4時起床ぐらいで取りかかった方が能率が良いのですが、なかなか実行できません。そもそも早寝ができません。ああ辛い。

夜、消防団による「防災のボランティアの日」広報が実施されました。第7分団でも部長に消防車のマイクを握ってもらい、およそ1時間、入出の中を広報して回りました。地震への備え、地震の際の火事への注意、常日頃から近隣と助け合うことなどなど、繰り返し繰り返し呼びかけました。

私は乗っているだけですけど。

阪神淡路大震災に合わせて実施するんですよ。毎年。あの時、私はまだ大学一年生でした。名古屋市の隣、長久手町に住んでいましたが、揺れで目が覚めたんです。観測上は震度1。もっと揺れたように思います。長い揺れでした。

その時はすぐに寝てしまい、朝のニュースで地震を知りました。時間を追うごとに被害を表す数字が大きくなっていきます。被害が大きければ大きいほどなかなか全容がつかめず、後から後から数字が積み増しされていくんです。

東日本大震災の際に、当初の数字からはるかに大きな被害規模になると予測できたのは、この時の経験が大きいですね。

あれから22年。街は復興しています。しかし、傷が癒えない人はまだまだ大勢います。大切な人を亡くした傷は、癒えたように思っていても、ふとしたきっかけですぐに痛みとともに蘇るんです。

我々僧侶は、そうした方々にいつまでも寄り添っていく覚悟だと、多分全僧侶がそう思っていると、私は信じています。傷を癒す力なんて、僧侶には無いと思います(一部の僧侶にはあるかもしれませんけど)。ただ、痛みを分かち合うことで、和らげることは出来ます。いつでもウェルカムですよ。痛みに耐えることには、慣れてますから。