書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

日記が連続で3,000日

今日も宗務所へ。金曜日には職員会議、来週月曜日には宗務所護持会・宗務所寺族会の役員会、さらに決算所会があります。準備が諸々忙しいところに、所報の発送が重なりました。

さらに午前中はお役僧がありまして、てんやわんや。忙しい一日となりました。

急遽金曜日に監査をしていただけることになり、その準備のために明日の休日出勤が決定。うむ。しんどい。

いつもは決算所会前のわずかな時間で監査をしていただくので一通り見るだけでもかなり大変となるのですが、前もってある程度見ていただけるというので、もしミスがあっても直す時間が確保できて大変ありがたいのです。

昨年から要望としてはいただいていたのですが、監査をしていただく教区長さんに宗務所へお越しいただく日が増えるということで、なかなかお願いしづらいところだったのです。このタイミングで先方からお話をいただけたのは、本当にありがたい。

でも、準備の予定が狂ってしまって。ま、もっと早めに動くべきところを、忘れていたんですけどね。最終チェックを。つまり自主監査。おかしなところがないか、1年分のチェックがまだできていなかったのです。自業自得です。

さて、話変わって。昨日の日記で3,000日分の日記が連続で存在することになりました。全体では4,000日を超えているのですが、途中で一日、開いてるんです。

毎日欠かさず更新しているわけではありません。つい数日前には、5日分ほどまとめて更新しました。ですから、3,000日連続更新ではなくて、3,000日分の日記がある、という表現なのです。

読み返しても面白くもない日記です。時には投げやりな日記もあります。人によっては不快に思う日記もあるかもしれません。それでも3,000日、日記が繋がっているというのは、ちょっとは自慢しても、いいんじゃない?ダメ?

内容は面白くないんですが、それでも、読んでいて懐かしさを感じるものもたくさんあります。自分の日記ですから、その時のことを思い返すことができて、忘れていた記憶を取り戻せるんです。

完全に忘れていて、本当にこんなことがあったのか信じられない日記もありますけどね。人の記憶力って、ある意味怖いです。今の自分を支えるために、過去の記憶を無意識に改変している可能性だって、否定できないかもっていうぐらい、覚えていない部分がありますからね。

10年日記帳とか売ってますけれど、ああいうの、つけるといいと思います。おすすめです。