書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

火葬場の後はお寺に戻るのが常でした

湖西市には二箇所の火葬場があります。…火葬場という呼び方ももう古いんでしょうかね。斎場?斎場も新しい呼び方というわけではないですよね。

入出と新居にあります。もともと新居は浜名郡新居町でしたが、合併して湖西市新居町になりました。そんなわけで、増えたわけではなく、元からあったものなのです。

ところが、近い将来、入出の火葬場は廃止される予定です。反対意見もありますし、私も反対なのですが、設備が古く、更新する予算もつけられないということのようです。事情は分からなくもない。

とはいえ、新居の火葬場だけではこの先、対応できなくなるんでしゃないかという危惧もあります。市は決めちゃったようですが…

新居の火葬場は、葬儀会館も併設されています。近年拡張工事がなされて、二件の葬儀を同時にこなせるようになりました。

しかし、それでも元の湖西市からの利用増に追いつかず、元の新居町の方からすると、葬儀の日を延期しなくてはならないこともしょっちゅうとなり、不評のようです。

まあ他にも色々とあったわけですが、愚痴っぽくなって建設的ではないので書くのはやめておきます。

さて、正太寺のお檀家さんでも、最寄りの葬祭ホールではなく、車で20分以上かかる新居町の葬儀会館を利用する方が増えつつあります。葬儀の会場と火葬場がくっついているというのは、物理的にも利便性が良いですし、気持ちの上でも楽に思えるのでしょう。

ただそうなると、困る立場の人間もいます。私がその代表例。入出の火葬場であれば、荼毘にふした後、初七日法要までの間に、お寺で1時間半近く休むことができました。初七日法要も、お経と法話を合わせて1時間コースの重労働ですので、ここで休めるかどうはだいぶ大きいのです。(理解し難いかもしれませんが、人前でお経を読む・法話をするというのは、慣れていたとしてもかなり疲労するんです)

これが新居の火葬場で荼毘にふすとなると、お寺で休憩できる時間は40分ほどになってしまいます。往復すると40〜50分かかるんです。休憩できる時間と同じだけ車を走らせていたら、休憩にはなりませんよね。

というわけで、私は最近、斎場の祭祀控え室で休ませてもらっています。今日はそこでパソコンを開いて、原稿書きを少々。移動がなければ、かなりの時間休むことができます。入出よりも設備が新しいので収骨までの待ち時間は短いのですが、でも十分です。今日みたいに仕事をした後にでも、休む時間が確保できます。

とはいえ、お寺で寝っ転がるのとでは、休み心地が違います。お寺であれば、10分ぐらいの短い時間、グイッと寝てしまうこともできるのですが、控え室ではそれはできませんでした。短い時間でも眠れれば、すごく元気になれるんですけれど。

普通の感覚からすると、仕事の合間に寝ちゃうんだ!と思うかもれませんが、特に葬儀の時などは、法要本番の時間帯にいかに集中して気をこめることが出来るかが大切になります。そのためなら、合間の時間に寝ることだって厭わないのです。疲れて弱々しい声でお経を読むぐらいなら、5分でもいいから休憩時間を確保して、元気を取り戻してから臨むべきなのです。

火葬場の話から舞台裏の話に変わってしまいましたね。本山での修行から戻ってきたばかりの頃は、お役僧に一回でるだけて、1時間ぐらい眠らないとならないぐらい体力を消耗しました。まだ23歳。修行で体力もバッチリついて、何しても平気というぐらいだったのですけれども、人前で注目されながら何かをする、お経を読む、儀式を遂行する、それらが合わさると、大変な体力を要するということはご理解いただきたいと思います。もちろん個人差はありますよ。

ですからね。控え室でうとうとしているのを見かけても、それはそのあとの時間帯のためなんだと、思ってください。どうぞよろしくお願いします。