書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

暑さのピークが過ぎるという噂がチラホラと…

来週には暑さが一段落するらしい、という噂がまことしやかに囁かれています。出来れば9日にも少しは暑さを控えていただきたいんですけれど、お天道様、いかがでしょうか。

9日は、よりにもよって一番暑い13時から、本堂にて新盆の方のお施餓鬼をお勤めします。あっついあっつい。30分ほどですが、でもやはり、暑いですよね。

師匠はその後10分弱の法話をしていましたが、これだけ暑い中ですと、わずか10分とはいえ、やたら暑い本堂内に留まっていただくことに躊躇を感じます。

当日の暑さ次第ではありますが、せっかく法話をしても、さっぱり耳に入らない状態では意味がありません。潔く諦めるのも選択肢の一つです。

そんな事態を思うと、やはりお経の現代語化は必要だと思います。聞いているだけで多少なりとも理解できれば。法話をするにしても、その補足説明から入ることが出来ますから、話がしやすい。

難しいんですけどね、現代語化というのも。サンスクリット語を音写した部分はそのまま残しておくべきでしょうし。そうなると、全体が音写のお経は今のままになってしまいます。まあそれはそれとして対処していくしかないのか…

荘厳な雰囲気の演出のためにも、安易な現代語化には反対の立場を取ってきました。今はようやく考えがまとまり、雰囲気を演出できる体裁での現代語化を進めるべきだと考えています。

今の時代には理解しづらい表現の部分など、あえて噛み砕かずに、それは法話の場に任せるスタンスで現代の表現に合わせていけば、うまくいくのではないかな。分かりやすくしようと噛み砕きすぎるから、現代語化は冗長になってしまいがちでしたから。

今までにも私のこうした考えは周囲に話したこともあります。今はお盆で身動きが取れませんが、取り組んでいきたいです。

一番懸念しているのは、ちょっとした表現の仕方の違いで、ニュアンスが全く違って伝わってしまいかねない危険が、お経には常にあると言うこと。ですので、今までにも類似のチャレンジをしてきた方も、お経についてはあえて手をつけずにいたように思います。

曹洞宗の上の方で、特に研究機関もあるわけですので、そちらでうまいことまとめてくれれば喜んで受け入れるんですけれど。

ロック調の般若心経が出回りましたが、ああいう取り組み、大変良いと思います。大切なお釈迦様の教えです。時がたっているんですから、解釈の違いが起こったってそれはおかしなことでありません。ですから、そうした解釈の違いをみんなが議論するような状況が出現して欲しいなと思います。

仏教徒としては余り良くない光景ではありますが、お酒を飲みながらお経を肴に、「俺はこう思うんだよ!」というような会話があっても良いと思うんですよ。僧侶でそれはいかんですが、ごくごく普通の人が当たり前にそんな会話をする、そんな世の中を体験してみたいんです。