父方の祖母の妹さんが亡くなられました。お檀家さんでもありましたので、私が導師となってお葬式を勤めます。
そして、諸事情あって、師匠が喪主となりました。世の中いろんなことがあるものです。
喪主ですから、通夜にしろ、葬儀にしろ、その場にいなくてはなりません。菩提寺の前住職がその場にいるのですから、立場はともかく、一緒にお経を読まないわけにはいきません。
つまりは、今夜、お通夜にて、二人で勤めたということ。明日は私が導師を勤める葬儀に、参列するは、お経も一緒に読むは、ということ。
長年副住職を勤めてきましたが、師匠のいる場で導師を勤めるというのは、初めてのことです。当たり前ですけれど、今まではそんな状況はあり得ませんでした。
私もやっていることにそれなりに自信がありますから、後から採点結果を聞かされるようなことはないと思いますが、とはいえ、ここはこうした方がもっと良い、というようなことはきっと有るはずです。
それが悔しい。
どんな世界にも、弟子に100点満点を与える師匠は居ないと思います。私としては、100点が取れないことが悔しい。そして、その原因は開示されないでしょうし、だってそもそも採点結果を知らされないことでしょう。
今夜既に、導師として特異な動きの無い通夜にてこの状況を体験してきまして、大変やりにくかったです。
それなりに思い入れのある故人ですのに、こんな気持ちが前面に出てきてしまうのも悔しい。
集中、集中。私が見るべきは故人であって、背後に迫る師匠の影ではありません。
明日はそれを言い聞かせて、葬儀に集中しようと思います。