書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

人権学習会

人権学習現地研修会に行って参りました。本当は第四宗務所管内寺院あげての研修会となる予定でしたが、バスの調達が出来ず、宗務所護持会役員さんと教区長さん方で行って参りました。それとは別行程で寺族研修も同会場で開催しましたので、人数としてはそこそことなりましたけれども。

会場は、御殿場市にある国立駿河療養所。ハンセン病患者の隔離施設として大戦末期から戦後にかけて建設された療養所です。

療養所という名前は何やら楽しげですけれど、実際には亡くなるまで隔離される施設でした。ハンセン病(当時は別名で呼ばれていました)は古い古い時代から存在している病気であり、後遺症が体の各部の変形や感覚神経を失うなど激しかったため、恐れられていました。しかし、明治6年には病気の原因も、感染力が非常に弱いことも(水虫の100分の1ほどの感染力しかありません)分かっていたにもかかわらず(ハンセンという方が病原菌を発見されたそうで、そこからハンセン病と名前が改められました)、明治の終わり頃に海外からの視察団を受け入れた際、神社仏閣など住み着いている浮浪者の中にハンセン病患者が見受けられ、そのことが指摘されたことから時の政府はそうしたハンセン病患者の浮浪者を隔離する政策をとります。

戦争の影響を受けてなのかその政策がさらに強まり、今までは家の中で療養していた患者達も強制隔離されることになりました。療養所へ移送される際には汽車を利用したそうですが、保健所の職員が後ろを消毒しながら歩いたそうです。恐れるほどの感染力など無かったというのに。

当時、ハンセン病についての正しい認識が、支配者層のどのレベルまで届いていたか分かりません。しかし、どこからも情報が無かったということは考えづらいです。知っている人はいた。だけれども止めなかった。そう想像するのが自然です。

そして、隔離政策の元となってらい予防法は、平成8年にようやく廃止されました。菅さんが大臣として謝罪して、一躍有名人になったこと、よく覚えています。

長い長い年月に及ぶ人権侵害がありました。今ならまだ、患者さんから直接お話が伺えます。辛い体験ですが、語って下さいます。ぜひ、職場などの団体で訪問していただいて、直接話を聞いてください。

患者さんの全国平均年齢は80歳を超えています。同じ過ちを繰り返さないために、学び続ける必要があると思います。