書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

元気の出る声

子どもたちが帰ってきました。午後から昨日とは別の医院へ出かけた長女と共に。

やっぱり、子どもたちの声には体が反応します。元気が出ます。疲れてるんですけれど、たぶん疲れが顔にも出るんですけれど、助けになっています。

明日明後日がお盆のお経の山場です。鷲津地区の日に続いて多い軒数を回ります。台風の接近に伴って、特に明後日は無事に読んで回れるかが心配されていますが、ともかく帰れば子どもたちがいるというのは、心強いです。

独身の時にはこんなこと考えもしなかったのに。

お釈迦様は、妻子を捨てて出家されました。そうしなければ修行に集中できません。それは大変よく分かります。

日本の僧侶はたいていその真逆を行くわけです。後継者育成を理由として。

私はそれを、邪道だと思ってきました。邪道ではあるけれども、致し方無しと自分も同じ道を来ました。

でもね。子育ての苦労話を檀家さん達と交わす度に思うようになりました。檀那寺の和尚が、現在進行形で子育てに取り組んで、自分たちと同じように苦労している姿を見せるというのは、これはこれでありなんじゃ無いかと。

そんな会話の中で、仏教の教えを伝えていく。そりゃもちろん意識的に仏教に絡めて会話をするわけですけれど、そうして伝えていく。それはとても、伝わりやすいんじゃないかなって。今の時代に合ってるんじゃないかなって。

とはいえしかし、出家が基本の仏教で、家族を持つことは邪道であるという自覚は、持ち続けようと思います。お釈迦様も、侍者として長年実子を側に置いていたそうです。息子も父と言うよりは師匠として尊敬していたのでしょう。でも、それはそれで一つの家族の形なのかも知れません。

長期の海外単身赴任に出ていた父親が帰ってきたと置き換えれば、現代にもあり得る話です。

日本の仏教の姿については、思うところがたくさんありますよ。たくさん。ただ、地方の現場レベルでは、案外うまい形になってるんじゃないかなって、ちょっと思うのです。

と、この日記、ここまで書くのにそれほど時間がかかっていません。筆が勝手に進む感触です。普段はなかなかこうはいきません。子どもたちの声が戻ってきただけでこれだけ筆が進むなんて、私も現金ですよね。