書き続ける!住職の平常心日記

静岡県にある曹洞宗のお寺、正太寺の住職が物欲との戦いを公開します。

宗務所と、友人の忌明けと、猫の死と

先日急逝した友人の奥様から、忌明けの品が届きました。四十九日を無事に終えられたようで、お疲れ様と声かけたいのですが、電話をする勇気が出ず、明日に延ばしてしまいました。

Facebookにアカウントのある彼の誕生日が近づきましたと、先日Facebookからお知らせメールが届き、悲しみを思い出してうるうるとしたところだったのですが、ここでまた涙が出そうになっています。

奥さん、大丈夫かな・・・

宗務所では、来月下旬予定の事業の延期を教化主事さんに提案しようとしたら、先を越されて提案されました。会場は正太寺ですから、住職に許可を取って、2ヶ月先に延期しました。これで少し落ち着いて準備が出来ます。

市役所と少し交渉がいるので、この猶予はありがたいです。教化主事さんも今日以降は少し宗務所に割ける時間が増えるようですし。今までは宗務所も教化主事さんも忙しすぎました。宗務所も夏のお盆のシーズンとなって、もっとも行事の少ない時期となります。一気に準備を整えたいところですね。

時間が少し戻って、朝、宗務所に出勤する直前、たぶん13年ほど一緒に過ごした我が家の猫が亡くなりしまた。日に一度くらいしか声も出さなくなって数日。ロクに歩くことも出来なくなり、寝返りを打つのが精一杯となっていました。老衰には少し早いようなのですが、治せない病というのもあります。飼い主としても観念時。

亡くなる瞬間、私は側にはいなかったのですが、少し大きな声を出したそうで、母がどうしたのと声をかけても返事はなくて。もともと返事は無いのが当たり前の数日間でしたからそれほど不思議には思わなかったそうですが、しばらくしてもう一度姿を見ると、亡くなっていたと。たぶんそれが、最後の鳴き声だったんでしょう。

しばらく同じような状態でしたから、明日ぐらいまでは大丈夫かなと様子を見ていたので、最後の瞬間に側にいることが出来ませんでした。今日も朝方から何度も側に行ってなるべく寂しくないようにしていたつもりですが、でも一番大事なときに、側にいられませんでした。

夕方、まだ猫の死を知らない長女が帰るとすぐに亡骸を見せ、家族みんなで埋葬しました。我が家では、猫にしろ犬にしろメダカにしろ、亡くなったら柿の木の下、と決まっています。

今回も、柿の木の下。前の猫を亡くしたときよりも少し立派な墓標を父が用意してくれてありました。前は長さ20cmほどの木札。今回は20cmほどの木の杭。一番かわいがっていたのは、父でしたから。

父は舎利礼文を読経。私は無言。声を出したら泣いてしまいそうで。友人の時には、声を出す前に泣きましたけれど。

いつかは来る別れの時。飼い始めたときに想像したよりは長い時間を一緒に過ごせたけれど、欲は出てくるものです。もっと一緒にいたかった。主人を失ったエサの器が視界に入る度に、同じことが頭をグルグル回ります。

次女はさっそく、猫を飼いたいと言い出しました。年長さんにとって、死とはどういう感覚なのでしょうか。我が子のことであっても、想像が難しいです。

新しく猫を飼い出せば、悲しみが癒えるのも早くなるでしょう。でももう少し、待って欲しいです。思い出をちゃんと丁寧にしまいたいですもの。

メイ、ありがとう。最高の相談相手だったよ。